安心、安全な街

”安心、安全なまちづくり”

こそ泥くん
平成2年(1990年)バブル期真っ只中、自宅を建てかえ
た。
年2回のボーナスから半分の額を財形貯蓄に積み立て建築費
の一部に当てることができる金額となった。
周りの家屋は殆ど2階建てとなってなんとなく平屋は見下さ
れているように思えた。新築の家は4LDKと家族全員自分の部
屋を持つことが出来た。
建物が出来上がり引っ越しして落ち着くと、次には、庭を整
備したくなり知り合いの紹介で庭師を入れて植栽をし、夏の
日差しを遮ってくれるようになった。
今度は、塀で囲んで邸宅風を夢見た。道路から見える側面に
白を基調とした一見大理石紛いの1.5mの塀を回した。
ここまでで一応満足していた。

ある日、事件が起きた。

午後、スーパーに買い物に出かけた。小一時間留守をして帰
宅をした。
買った物を冷蔵庫に収納して2階の自分の部屋に入って驚い
た。戸棚の扉、机の引き出し等あけられて中の書類や本棚の
本があちこちに散らばっていた。盗られたものは、机の引き
出しから茶封筒には入っていた2万円のお金であった。
その他、一階の居間から窓ガラスを割って侵入したためガラ
ス費用の損害程度であった。お巡りさんに来てもらい盗難状
況を調べられたあと被害届を出した。

このとき以降、家族全員で警戒を強め外側に面している雨戸、
ガラス戸はもちろん1階から2階へのドアーなど二重に施錠し
たり補助錠を取り付けるなど厳重にガードをした。

盗られた現金2万円と居間の割られたガラス(1.3m四方)の
代金7,000円代は、火災保険の総合保険に加入していたから保
証が得られた。

3ヶ月後お巡りさんが、こそ泥が、国分寺にて捕まったこと
を報告に来た。私のところの盗難を白状したとのことである。
そして、3冊の本を持ってきて”この本はあなたのところから
盗った”と言っていると返してきた。
1冊は、渥美清の「寅さんのそれを言っちゃおしめいよ」と
「整理術」(著者は忘れた)それにもう1冊(この本は私の
本ではない。「英語の熟語集」熱心に勉強した赤鉛筆で引い
た跡が目立った)の3冊を盗ったから返すと言ったそうだ。
お金は戻ってこなかった。
友人から、”立派な塀を新しく作ると泥棒に入られると言うぞ”
と「それを早く言って欲しかった」

 

深夜の火事

平成22年(2010年)1月末日深夜2時、外の騒がしさに目覚
めた。


2階の北側の窓ガラスが真っ赤に染まっている。我が家から
2軒裏の家、年寄り夫婦が暮らしていた。
外に出てびっくり!消防車とホースが道路を塞いでいる。ぱ
ちぱちと音を立てて燃え上がる炎から風に乗って火の粉が飛
んでくる。
ストレッチャーに乗せられた老婦人が救急車に運ばれていく。
身震いは、寒さに加え恐ろしさが襲ってきた。ゴムホースを
水道の蛇口につないで自宅の建物の外壁に水をかける。効果
があるかどうかよりなにかしてないと落ち着かない。
道路に周りの人住人が集まって肩を震わせながら話している。
類焼してるらしいと。常日頃は顔を合わせてお辞儀する程度
の隣人たちが興奮気味に親しげに話している。

2時間ほどして鎮火した。火元は全焼したが隣家は外壁が少し
焦げた程度で消えた。出火原因は、石油ストーブの火がカー
テンに移って燃えたためと言うことであった。

後日談
隣近所でお金を集めてお見舞いしようと町内会で話がまとま
った。
ところが、ある家からこんな反対意見が出た。失火によって
火災を起こして隣近所に大変迷惑を掛けておいてお詫びの挨
拶一つないのにどうして見舞いなどするのか?と。

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