終の住家

あれから半世紀

第一光が丘自治会が出来てから57年(昭和57年1964年設立)
半世紀以上経過した。
今の自治会長は、11年目の永きにわたり住民の安全、安心に
心を砕いて住み良いまちづくりに努力されている。
総世帯数505世帯、自治会に加入世帯360世帯、加入率71%
である。
特に、夕方の安全パトロールは、永年続いている。また、一
人暮らし老人の体力、脳力維持、孤独死予防のためオープン
カフエを開催している。第2土曜日午前中に公園にて、体操、
歌唱、ゲームなど心身の活性化を図っている。
オープンカフェ体操風景

幻の鉄道、武州鉄道
昭和34年(1959)武州鉄道会社が設立され、三鷹ー青梅ー秩
父の鉄道を造り大和町の中心部に3つの団地がつくられる計画
が出された。
町は、中心部を鉄道が走ると期待した。ところが、用地買収
や鉄道免許に絡む贈収賄事件が起き、計画は頓挫した。
用地買収をした関連会社の土地は、東京都が買い上げて今の
市役所、東大和高校、第一光が丘団地、上北台団地の一部と
なった。
(詳しくは「幻の武州鉄道」東大和交通史研究の会)

高度経済成長と首都圏整備計画
昭和31年(1956年)東京都は、深刻な住宅難解消のため首都
圏整備計画に基づき長期建設計画を立てた。
都心への通勤圏内として大和町にも次々と都営住宅の建設が
始まった。
昭和33年(1958)に清水に第一都営住宅を皮切りに36年に高
木都営、38年に東京街道団地と大団地ができた。
同じ年、東京都住宅供給公社は、第一光が丘団地450戸の分
譲を始めた。四方どこを見ても畑ばかりその住宅地は、「青
梅橋駅から徒歩12分、平坦地環境極めて良好」とあった。

当時、私は、杉並区に6畳一間のアパートに住んでいた。新
聞でこの分譲広告を見て応募、20倍の競争に当選、喜んだも
のの金策に苦労した。土地代金の半分は親がかりにはなった
ものの残りの支払いの借り入れに奔走した。

昭和40年暮れ引っ越した。妻と生まれたばかりに長男、杉並
に比べ4~5度は気温が低い。寒風に吹かれた砂塵が窓枠に積
もる。立川基地から飛び立つ米軍の飛行機は、テレビの音声
をかき消す。時には画面さえ乱れる。
新居から大手町、立川、六本木と2~3年毎に職場が変わる。
通勤時間は、1.5時間と早朝出かけて夜遅くの帰宅の繰り返し、
土曜日、日曜日はだらだらと自宅で過ごす。

自治会役員くじ引きで会長に>
引っ越して9年目に自治会の役員の順番がきた。妻が、引き
当てたくじ引きは、会長の役職であった。
自治会のことは全然知らない、住人との付き合いも殆どない。
36歳、職場は、毎日忙しい。自治会の会長が務まるだろうか。
不安な気持ちでいっぱいであった。
前会長からの引き継ぎ事項には、会費の値上げと集会所の建設
であった。役員会では、1年間を無事にやり過ごすことが皆の
暗黙のうちの共通認識となっていたと思う。
ところが、会費値上げは、8月には会計担当が積極的に動き臨
時総会を開催して値上げが可決された。月130円を200円に値
上げした。
集会所建設については、近隣住民の同意を取り付けるところ
までこぎつけていた。一年は、アッという間に過ぎた。
この経験が、同じ町内の住人との関わりを深くしていった。
その後、自治会内にゴルフ同好会が出来、年2回のコンペには
必ず参加して交流を深めることが出来ている。

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