2021年6月23日 / 最終更新日時 : 2021年6月23日 菊花仙人 つながり 終の住家 あれから半世紀 第一光が丘自治会が出来てから57年(昭和57年1964年設立) 半世紀以上経過した。 今の自治会長は、11年目の永きにわたり住民の安全、安心に 心を砕いて住み良いまちづくりに努力されている。 総世帯数505世帯、自治会に加入世帯360世帯、加入率71% である。 特に、夕方の安全パトロールは、永年続いている。また、一 人暮らし老人の体力、脳力維持、孤独死予防のためオープン カフエを開催している。第2土曜日午前中に公園にて、体操、 歌唱、ゲームなど心身の活性化を図っている。 オープンカフェ体操風景 幻の鉄道、武州鉄道 昭和34年(1959)武州鉄道会社が設立され、三鷹ー青梅ー秩 父の鉄道を造り大和町の中心部に3つの団地がつくられる計画 が出された。 町は、中心部を鉄道が走ると期待した。ところが、用地買収 や鉄道免許に絡む贈収賄事件が起き、計画は頓挫した。 用地買収をした関連会社の土地は、東京都が買い上げて今の 市役所、東大和高校、第一光が丘団地、上北台団地の一部と なった。 (詳しくは「幻の武州鉄道」東大和交通史研究の会) 高度経済成長と首都圏整備計画 昭和31年(1956年)東京都は、深刻な住宅難解消のため首都 圏整備計画に基づき長期建設計画を立てた。 都心への通勤圏内として大和町にも次々と都営住宅の建設が 始まった。 昭和33年(1958)に清水に第一都営住宅を皮切りに36年に高 木都営、38年に東京街道団地と大団地ができた。 同じ年、東京都住宅供給公社は、第一光が丘団地450戸の分 譲を始めた。四方どこを見ても畑ばかりその住宅地は、「青 梅橋駅から徒歩12分、平坦地環境極めて良好」とあった。 当時、私は、杉並区に6畳一間のアパートに住んでいた。新 聞でこの分譲広告を見て応募、20倍の競争に当選、喜んだも のの金策に苦労した。土地代金の半分は親がかりにはなった ものの残りの支払いの借り入れに奔走した。 昭和40年暮れ引っ越した。妻と生まれたばかりに長男、杉並 に比べ4~5度は気温が低い。寒風に吹かれた砂塵が窓枠に積 もる。立川基地から飛び立つ米軍の飛行機は、テレビの音声 をかき消す。時には画面さえ乱れる。 新居から大手町、立川、六本木と2~3年毎に職場が変わる。 通勤時間は、1.5時間と早朝出かけて夜遅くの帰宅の繰り返し、 土曜日、日曜日はだらだらと自宅で過ごす。 自治会役員くじ引きで会長に> 引っ越して9年目に自治会の役員の順番がきた。妻が、引き 当てたくじ引きは、会長の役職であった。 自治会のことは全然知らない、住人との付き合いも殆どない。 36歳、職場は、毎日忙しい。自治会の会長が務まるだろうか。 不安な気持ちでいっぱいであった。 前会長からの引き継ぎ事項には、会費の値上げと集会所の建設 であった。役員会では、1年間を無事にやり過ごすことが皆の 暗黙のうちの共通認識となっていたと思う。 ところが、会費値上げは、8月には会計担当が積極的に動き臨 時総会を開催して値上げが可決された。月130円を200円に値 上げした。 集会所建設については、近隣住民の同意を取り付けるところ までこぎつけていた。一年は、アッという間に過ぎた。 この経験が、同じ町内の住人との関わりを深くしていった。 その後、自治会内にゴルフ同好会が出来、年2回のコンペには 必ず参加して交流を深めることが出来ている。 Follow me! 菊花仙人 関連 FacebooktwitterHatenaPocket