供養

お盆がやってきた!

2回目の都立霊園の申し込みを済ませた。
妻のお墓はまだ決まっていない。
昨年小平霊園に申し込んだが抽選の結果
外れた。小平霊園は競争率が高い。
今年は、多磨霊園の競争率の低い墓地を
申し込んだ。

 

先祖の霊を自宅に迎えて供養するお盆は
東京は7月13日(日)~16日(水)で

った。

迎え火を焚き、お盆提灯やなす、きゅ
うりの馬、牛などの盆飾りもした。
本来であればお墓に行って掃除をして
お線香やお花を供えるところであるが
お墓がな
い。

 

 

トカゲが生まれ変わり?
夕方、洗濯ものを居間に取り込んでお
いた。
夕食を終えて洗濯物を畳んでいると妻
が日頃、よく使っていたバスタオルか
ら紫色の艶のあるトカゲが走り出た。


外に追い出そうとしたところ椅子の下
に潜り込んだ。椅子を動かして探し回
ったが見当たらない。それから30分ほ
どして再び走り出てきた。追いかける
と和室の仏壇の下に潜り込んだ。探し
回るが見つからない。
翌日の昼過ぎ和室から這い出してきた
再び追いかけるとテレビ台の下に潜り
込んだ。追い出そうとホウキでさぐっ
てみたが出てこない。
自分の目の錯覚かと潜り込んだあたり
に目をこらしていたが現われない。

寺院との関係
江戸時代に徳川幕府によって始められた寺請
制度は、明治4年(1871年)明治政府によって
廃止された。
寺請制度は、その家や一族の人々が、檀家と
して特定の寺院を旦那寺(菩提寺)として定
めることで身分を証明するものであった。
全ての国民は、家族単位でいずれかの仏教寺
院のメンバー(檀家)にならなければならな
い制度が制定された。これにより幕府は,国民
の動向を個々人のレベルまでほぼ完全に把握
統制できるようになった。
出生、死亡、結婚、旅行、移住などの個人情
報が寺院に集約されることになり幕府にとっ
て仏教寺院は,政権維持のため必要不可欠な

制機関として重要視された。
家族単位で寺院を選択して代々その家系が,所
属する寺院のメンバーとなることが強制され
た。
このときに家族単位で檀家となった仏教寺院
の宗派が、その家族の宗派となったのだろう。

東大和の寺院は殆どが真言宗
どうして東大和は真言宗の寺院が多いかはよく
分からない。


従って当時は、真言宗の檀家が多かったと思
う。その子孫は,当然真言宗となっているから
多分今も東大和は、宗派が真言宗の家が多い
に違いない。
(検証の方法がないので未確認である)
檀家になれば旦那寺(菩提寺)に経済的支援
が必要となる。
お布施(葬儀、法要、四十九日、一周忌、三
回忌等)
墓地等の管理費(先祖代々の墓)
修繕費(寺院の建物、墓地の整備費など)
そのかわりに寺院は、檀家の葬儀、法事、お
墓の管理、そのほか先祖の様々な供養をする。

先祖代々のお墓がない
生まれたところから離れて東大和に移住して
住み着いたひとには旦那寺(菩提寺)を持た
ないし檀家でもない。
つまり、寺院との関わりが途切れてしまった
寺院難民である。
そうすると、葬儀は葬儀屋に頼んで葬り、ま
た、お墓は,霊園を探して埋葬して供養しなけ
ればならない。

 

送り火
お盆にやってきたトカゲは、ガラス戸
の隙間
から外に出たらしく7月16日以
降は見かけない。

 

 

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