朗読劇
 東大和の自由民権運動とそれを支えた人々

朗読劇のタイトル
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今年は明治150年、五日市憲法発見50年になります。東大和郷土博物館ではその記念事業として
・企画展示と共に
・平成30年9月24日(月)午前9時30分~11時30分
・講演会 東大和の自由民権運動と千葉卓三郎
 ~五日市憲法発見50年をふりかえって~
 講師 新井勝紘氏
・朗読劇 東大和の自由民権運動とそれを支えた人々
 出演 市民大学朗読劇の会
を実施します。その朗読劇の紹介です。

衆楽会が開かれた蓮華寺(村山貯水池の湖底に沈んだ)
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話は「衆楽会」から始まります。
明治維新後の変化激しい中で、憲法制定、国民の選挙による国会開設など、新しい制度を求めての運動が活発化します。その一つが自由民権運動でした。自由と権利を主張し、実現を求め、各地で学習会、演説会が開かれます。多摩地域で、その先駆けとなったのが東大和市の「衆楽会」です。明治11年(1878)1月17日、湖底に沈んだ蓮華寺で開かれました。

自治の道を究める 

衆楽会発会式での誓い
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衆楽会には、芋窪、蔵敷村の有力者、指導者、昇隆学校関係の人びとが集まりました。特に、蔵敷村の内野杢左衛門が果たした役割は大きかったと推察されます。
それぞれ挨拶があり、
「同じ志を持つ皆で、自治の道を究めよう、
そのため切磋琢磨して勉強しよう!」
と宣言します。

明治6年(1873)に開設、明治10年(1877)昇隆学校と改称された地元の小学校の生徒達が、江口会長の主導のもとに「日に新た、日々に新たに務める」ことを誓いました。
三多摩の自由民権運動では56の結社が誕生しましたが、その最初のスタートを切ったのがこの衆楽会でした。

新聞購読会

蔵敷新聞購読社
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 衆楽会の発足に刺激されて、村人達の間に、政治をはじめ時事の動きを敏感に捉えようとする動きが生れました。当時の新聞は高価でした。そこで始まったのが有志の回覧読みです。

 明治13年(1880)11月、蔵敷村の内野杢左衛門を中心として8名による「蔵敷村新聞購読社」が結成されました。毎月、一人15銭ずつ出し合って、二日二夜で読んで次の会員に回しました。「曙新聞」「読売新聞」から始まり、「驥尾団子(きびだんご)」「人情雑誌」、そして「朝野新聞」へと続きました。

高木新聞購読会
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 新聞購読・回覧グループは、高木村でも行われました。明治13年(1880)、「宮鍋庄兵衛家、尾崎清五郎家、尾﨑宇兵衛家の三軒で新聞を共同に取り、一軒で読み終わると子守さんが次のお宅へ届けに行きました。

芋窪村学術演説会

芋窪村学術演説会
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 明治14年(1881)代になると狭山丘陵周辺で、自由民権を求めての学術、政談演説会が開かれてきました。東大和市域では、5月6日、芋窪の昇隆学校で学術演説会が開かれました。当時の東京横浜毎日新聞が次のように伝えます。
 「聴衆無慮百余名、場中立錐の地なき程なりし、此会を開きたるは専ら渡邊、内野、河鍋諸氏の尽力に依る・・・」
 として、会場溢れんばかりの人々が集まったことがわかります。
 あたかも、集会条例が制定され、警察官の視察もあって、緊張した空気も伝わります。

千葉卓三郎の奈良橋村逗留

千葉卓三郎が逗留した鎌田家(奈良橋村)
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 芋窪村で学術演説会が行われた頃、奈良橋村に千葉卓三郎(仙台藩士)が来村し、鎌田家に滞在しました。深沢村(現・あきる野市五日市)の観能学校の教師であり、「五日市憲法」の草案つくりを指導し、最終段階に至っていました。

 鎌田家には喜三(訥郎)、喜十郎、弥十郎の三兄弟がいました。明治法律学校で法律を学んでいた喜三と千葉卓三郎は意気投合し、狭山丘陵の南麓にさらに力強い自由民権運動のうねりを起こしました。  
 千葉卓三郎は五日市の深沢権八宛に書簡葉書を出しています。奈良橋村の住所が記され、小川郵便局の消印が押されています。自らも加わって準備を進めていた狭山自由懇親会への出席の要請です。

狭山自由懇親会

狭山自由懇親会
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 明治14年(1881)9月25日、狭山村の円乗院で、地元の宮鍋庄兵衛、奈良橋の鎌田喜三などが発起人になって開かれました。集会条例の影響か、名称を狭山自由懇親会としています。参加者は高木、狭山村の人びとへと拡大しました。蔵敷の内野杢左衛門も参加しました。

 当日は雨でしたが、ぬかるむ道を有志が続々と集まりました。東京横浜毎日新聞の赤羽萬二郎が「速やかに国会を開き、立法の大権を人民の手に掌握しよう」と演説します。そして、在村中の千葉卓三郎が力を籠めて

 「自由ノ理明カナラザレバ民権起ラズ、民権起ラザレバ自治ノ気象振ハザルナリ、自治ノ気象振ハザレバ知識焉(いずく)ンゾ進ムヲ得ンヤ、・・・速ニ国会をヲ開キ、立法ノ大権ヲ人民ノ手ニ掌握セシメント・・・」と国会開設への強い意思を示します。
 千葉が作成した演説草稿と推測されるこの文書が東大和市史資料編(10p67)に紹介されています。

奈良橋自由懇親会  

奈良橋自由懇親会
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 やがて、千葉卓三郎は奈良橋村を去り、五日市に戻ります。その中で、鎌田喜三も加わり地元の運動の輪は広がります。そして開かれたのが奈良橋自由懇親会でした。

 明治14年(1881)11月21日、地租改正作業が進む中で、狭山丘陵周辺全域から参加者が集まりました。村山郷十六ヵ村、埼玉県入間郡からも参加したと記録されています。会場は雲性寺境内にあった奈良橋学校でした。

 板の間の会場では、横浜毎日新聞社の島田三郎の演説に続き、今後の運動、規約の制定などが提案されました。
それらを受けて、その後、懇親会は箱根ヶ崎(現・瑞穂町)三木(現・武蔵村山市)へと続きました。

参加者は狭山丘陵全域に広がった
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東大和市は自由民権運動の里

 朗読劇は最後に「私たちが住む東大和市、まさに自由民権の里に相応しいと思いませんか」と問いかけて終わります。

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 郷土博物館の企画展示、新井勝紘先生の講演、朗読劇を通じて、東大和市の明治時代を堪能頂ければとご案内します。

出演者は練習を重ねる

 出演の市民大学朗読劇の会のメンバーは、当日に備えて練習を重ねています。

発生練習
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位置取り、朗読練習
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 練習会場では
「皆さんのご来場を心からお待ちしています」 と呼び掛けの声が大きく響きました。
 心から、ご来場をお待ちしています!!

 (2018.09.10.記)

 東大和市立郷土博物館催物案内

 明治時代の東大和

 東大和市の歴史・明治時代