2024年3月23日 / 最終更新日時 : 2024年3月23日 musashinoaj 東大和市内の神社 御霊大明神 地頭が大切にまつった 御霊大明神 地頭が大切にまつった 御霊大明神、今は狭山神社に合祀されています。 旧地は村山貯水池の湖底に沈みました。 その大明神、江戸時代の初期・宝永6年・1709年です。 時の地頭・溝口佐々衛門が大切にお守りしまし […] 共有:Tweet
2024年3月18日 / 最終更新日時 : 2024年6月10日 musashinoaj 8現代 狭南橋 狭南橋 「狭南橋」(きょうなんばし)はどこにあったのですか? 出来ればその姿を見たいです。 との要望が寄せられます。 武蔵大和駅の近く、狭山丘陵南麓への道筋に架かる小さな橋でした。 江戸時代から活躍を続けた修験の […] 共有:Tweet
2024年3月12日 / 最終更新日時 : 2024年3月12日 musashinoaj 7近世 芋久保村地頭・酒井氏 芋久保村地頭・酒井氏 家康から知行地を与えられた酒井氏は、天正19年(1591)~文禄元年(1592)に 芋久保村(以後芋窪村)、高木村に配属されて来ました。 家康が秀吉から関東への移動を告げられてから、まだ、数ヶ月 […] 共有:Tweet
2024年3月8日 / 最終更新日時 : 2024年3月12日 musashinoaj 7近世 忍耐も限界の村人達 地頭に反乱 地頭も気の毒? 忍耐も限界の村人達 地頭に反乱 地頭も気の毒? 天保3年(1832)、芋窪村での出来事です。 村人が領主様の申し付けに、鉦(かね)・大鼓を打ち鳴して 「ダメ、いやだ」を表明しました。 ・村の指導的立場にある「年 […] 共有:Tweet
2024年3月1日 / 最終更新日時 : 2024年3月1日 musashinoaj 7近世 蔵敷村の大井戸について 蔵敷村の大井戸について 文政四年(1821)のことです。 東大和地域一帯は猛烈な飲み水不足に見舞われ、その獲得に悩みました。 蔵敷村では、ついに、狭山丘陵の峰を越えて、 ・ねずみ沢(現在は村山貯水池内) ・新田開発し […] 共有:Tweet