内野文庫建設の記(『里正日誌』)

 東大和市蔵敷、内野家の一隅に瀟洒な倉があります。「内野文庫」と呼ばれます。中には
・『里正日誌』(蔵敷村で長い間名主、村長を務めた内野氏が代々にわたり記録を残した歴史資料)
・江戸時代から昭和に至る古文書
・先史時代の土器、中世の板碑、各時代の什器、特に、江戸時代末・明治維新にかけての農兵や自由民権運動に関わる衣類や器物
 が保管されています。

『里正日誌』が収められている内野文庫
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 内野文庫は蔵敷一丁目、青梅街道沿いバス停「蔵敷」向かって右側にあります。

 この書庫は昭和45年(1970)に建設されました。
 完成の時竣工のお祝いがあり、その際「内野文庫建設の記」が配られました。発行者は当家十二代目の内野悌二氏、著者は十一代目の内野録太郎氏(大和村村会議員、大和町長、教育長など歴任)の自筆とされます。
 様々な貴重な資料を残され、それらを利用できるようにされた内野氏に心から敬意を表し、全文を紹介します。

内野文庫建設の記 クリックで大

「郷土史料庫建設之記

 内野家は、慶長七年その以前より現地大和町蔵敷に住し現在の住家は、寛政五年の再建である。爾来系統連綿、確かな記録が存し当主の玉峰禄太郎の男、悌二は十二代である。尚、内野家一族墓所に慶長以後の墓石が建ててある。その以前は確かでないが、徳治、康永、永徳、明徳、応永の板碑が保存してある。

 内野家は遠く寛延二年より名主を世襲し、私の亡父まで代々杢左衛門と称した。
 祖父星峰杢左衛門翁は近郷の総代名主を勤め伊豆韮山代官江川太郎左衛門英龍の支配所に属し、剛直の聞え高しと云。亦翁は壮年で、安政三年正月発足し、西国、三十三所の霊場を巡礼し、広嶋、壇浦、太宰府を経て佐賀より長崎に至り鉄翁禅師を訪い画の揮毫を需めた。次て本庄練早間船行二十二里、西硫黄嶋に航し、俊寛僧都の墓を弔い、然して東中国を歴遊して還つた。此行実に半歳。一千余里を行脚した壮哉、その旅行記は蔵してある。

 父秀峰杢左衛門翁は幼にして頴悟少壮で名主見習、戸長、旧神奈川県会議員在職八年、明治二十二年四月より昭和三年四月まで高木村外五ケ村組合会議員と大和村会議員に連続当選実に三十九年間公共に尽した。
 亦名士と交遊広く文筆に長し博学であつた。私は医を業とし大正二年より現在に至る其間大和村消防組頭勤続十二年、大和村会議員十六年、公選大和村町長在職八年、昭和二十九年五月町制施行し戦後の町づくりに尽した。
 亦大和町教育長八年。北多摩郡教育長会長八年。昭和四十年東京都知事表彰、同四十一年秋勲五等に叙し瑞宝章を賜ふ。

 惟ふに先代は時代々の文書書籍、尺牘、創刊以来の新聞、古瓦、古器物等を蒐集保存された。祖先の丹精唯々感激に堪えないと同時に今後世代諸子の感心を期待したい。時当に明治百年を迎え亦万国博覧会が我大阪において開会を契機とし、茲に所蔵品の永久保存を企画し、特に耐震火災と防湿を兼ねた現代式堅牢な鉄筋コンクリート建一棟を邸内に設け所蔵することにした。亦、一般好事家の閲覧に供する。然して此の建築資金は私の子女が寄せたのである。

 子女は倶に語つて曰く、之れ蓋し孝祀孝道の一端であると云。その言や善哉。私も之を諒とした依て記名して謝意を表す。則ち悌二、徳子、福、靖子、祐、洋子、房子、女婿小嶋源三、忠子、西野彦太郎、恭子、吉野泰平、春子等である。不文を顧みず事実を勒し後昆に伝ふ。

 昭和四十五年一月 内野家中興十一代
             八十六叟玉峰 内野禄太郎 徳潤書
 建築業者昭島市玉川町  鈴木素通氏
 設計監理東大和市蔵敷  小嶋宗雄氏
    東村山市久米川  石工 当間洋吉氏

 右の記事は父禄太郎翁が自筆して文庫内に掲げた原文であります。
 今回高齢の父が当家歴代当主の遺物殊に古文書、古書籍、古書画等を修理し整理して後世に遺される行為には深く感激いたします。私も微力でありますが、父の素志を継承するとともに「温故知新」の意義に寄与したい所存でありますので一言附言いたします。

   昭和四十五年十月文庫落成披露に際して
                          内野悌二」

 『里正日誌』は東大和市の重宝として文化財に指定されています。併せて、『里正日誌』と共にその他の文書は周辺都市の市史に引用されています。その保管庫が内野文庫です。

  (2020.05.06.記 文責・安島)

  市指定文化財『里正日誌』

  市指定文化財