鹿島台遺跡1 東大和市史跡
鹿島台遺跡1 市史跡
芋窪、豊鹿島神社の北側、鹿島台一帯の地下に眠る、とびっきりの遺跡です。
まだ、発掘していない地域が広く、今後の調査によっては、
狭山丘陵の縄文時代について、いろいろな発見が期待されます。
見つかった土器や石器はこの地域の縄文時代の特色を語るので
「遺跡」は市の史跡に、「土器や石器」は市の重宝に指定されています。
縄文時代中期(約5000年前)の住居跡とされます。
回りに溝が切られて、太い柱の跡と中央に炉(いろり)が設けられています。
火を燃やして、暖まったり、この上にもう一つ土器を置いて煮炊きをしたりしたようです。
所在地 東大和市芋窪一丁目一九九八番地ほか
指 定 昭和五十八年三月一日
説 明 市内でも屈指の縄文時代中期の集落遺跡である。保存状態もよく、市の歴史資料として貴重である。
説明板があって、次のように記されています。
東大和市史跡
鹿島台遺跡
所在 東大和市芋窪一丁目一九九八番地ほか
指定 昭和五十八年三月一日
説明
この遺跡は、古くからその存在が知られ、昭和36(1962)年の表面採集調査では、
縄文時代前・中・後期(約6.000~3.000年前)の土器の破片や石器類が発見されている。
その後、昭和55(1980)年3月の発掘調査では、縄文時代前期末(約5.500年前)
の集積遺構や、縄文時代中期(約5.000年前)の住居跡が見つかった。
このときの住居跡はここから西の奥まった所にあり、土器を埋め込んだ炉跡が発見された。
奈良橋の八幡谷戸遺跡とともに、縄文時代のムラの跡と推定される重要な遺跡である。
東大和市教育委員会
遺跡の位置と鹿島台
・遺跡は狭山丘陵の南麓に位置して
・中谷ッ、東谷ッに挟まれる中央、鹿島台に営まれました。
・両方の谷ッはそれぞれに湧き水の水源を持ち
・台地から谷ッにかけて植物が生い茂り
・採集、狩猟の生活にはもってこいの地です。
・住居跡は一定の期間の定住を示すようです。
鹿島台遺跡の範囲はおおむね・・・・線の範囲と考えられています。
今回発掘調査が行われたのはその一部です。
右下の八幡神社の周辺には八幡谷戸遺跡があります。
(2022.04.29.記 文責・安島喜一)