古い多摩川が運んだ石ころが残されている(芋窪礫層)
「狭山丘陵は古い多摩川が削り残したんです」
「また冗談云って!」
「絶対ごまかされないから!」
東大和市蔵敷の熊野神社の本殿を拝観し終わって、一息ついての話題です。
「多摩川ってここから2キロ近く離れてますよ」
「でもね、これが、その証拠なんです」
「エ、エ・・・?」
「そりゃ、触るとボロボロになるから、この辺じゃ「イシグサレ」(石腐)って呼んでんだあよ」
地質学が「芋窪礫層」(いもくぼれきそう)と名付けた地層です。
海がだんだん退く頃、古い多摩川が青梅を出口にして氾濫ぎみに自由に流れたそうです。
そして運んだのがこの石ころで、それを残して多摩川は南に移動して現在の位置に落ち着いている
と地理の先生は云います。
東大和市から立川方面に向かうと、砂川九番の先で坂になります。
それも古い多摩川が削り遺した跡と聞くと、だんだん納得です。でも、
「いつ、どのくらいの年数がかかったんですか?」
「東大和市では、富士山の灰がその上に積もっていますから・・・」
「???・・・」
一般的にはミンデル氷期(60~40万年前)に当たるとされます。
はっきり教えてもらえないのが残念です。
まだ、まだ研究の最中のようです。
(2017.09.08.記 文責・安島喜一)