2022年1月7日 / 最終更新日時 : 2023年11月20日 musashinoaj 5古代 『狭山之栞』の「武蔵国」 『狭山之栞』の「武蔵国」 江戸時代、東大和市域内の人々は武蔵国についてどのように受けとめていたのでしょうか? 良い資料があります。 江戸時代の後ヶ谷村名主・郷土史家の杉本林志(しげゆき)氏が『狭山之栞』(さやまのしおり) […] 共有:Tweet
2020年1月18日 / 最終更新日時 : 2020年9月14日 musashinoaj 5古代 東大和市に古代からの人が定着する様子 東大和市に古代からの人が定着する様子 東大和市に古代から中世にかけて人々が定着する様子を追っています。多くの場合、狭山丘陵につくられた谷ッに見られそうです。その中から一例として「廻田谷ッ」(めぐりたやつ)を紹介します。 […] 共有:Tweet
2019年11月19日 / 最終更新日時 : 2023年5月29日 musashinoaj 5古代 中世の村・廻田谷ッ(東大和市) 中世の村・廻田谷ッ 東大和市内で中世の村落の姿をそのまま見るのは困難です。幸い湖畔三丁目に、二つ池公園があり、周辺から平安時代後半から中世にかけての遺跡が発見されています。 湧き水、平安時代遺跡、谷ッの水田、板碑、寺 […] 共有:Tweet
2018年10月12日 / 最終更新日時 : 2023年11月4日 musashinoaj 5古代 東大和市域の属した「郷」は、そして「郡界」は? 東大和市域の属した「郷」は、そして「郡界」は? 東大和市域の北側は東京都と埼玉県の境です。これがどのようにして生まれたのかの謎解きです。 武蔵国の成立にともない、国郡制のもと、7世紀から8世紀初めにかけて地方制度が整 […] 共有:Tweet
2018年10月9日 / 最終更新日時 : 2024年7月3日 musashinoaj 5古代 将門の乱と西楽寺の不動明王像 将門の乱と西楽寺の不動明王像 東大和市に平将門(たいらのまさかど)の乱(承平5年・935)に関わる伝承があります。乱との直接の関係は薄いのですが、村山貯水池に沈んだ西楽寺(さいらくじ)の不動明王像です。 西楽寺は、か […] 共有:Tweet
2018年10月8日 / 最終更新日時 : 2023年5月1日 musashinoaj 5古代 廻田谷ッ東遺跡 廻田谷ッ東遺跡(10世紀後半・平安時代) 歴史って楽しいです。 特に古代から中世にかけての遺跡探しは胸を躍らせます。東大和市でも話題が沸騰したことがあります。 2001年7月15日、東大和市内で最初の中世遺跡かと胸 […] 共有:Tweet
2017年9月4日 / 最終更新日時 : 2023年1月23日 musashinoaj 5古代 「武蔵国」に東大和市域は属することになった 東大和市には古墳はまだ発見されず、奈良時代にかすかに定住が始まったようです。 その時代の国の名前はなんと呼ばれていたのでしょうか。 日本書紀では、 ・天武12年(683)12月13日 ・天武13年(684)5月 […] 共有:Tweet
2017年8月30日 / 最終更新日時 : 2023年11月22日 musashinoaj 5古代 鬼高式土器だけが残された(諏訪山遺跡) 東大和市でも古墳時代の人々が住んでいた住居址が発見される可能性がありました。現在の湖畔地区です。昭和41年(1966)この地域の開発が行われ、ブルトーザーが削平を始めました。 「昔の茶碗が出てきた」 との知らせに、 […] 共有:Tweet
2017年8月27日 / 最終更新日時 : 2021年8月20日 musashinoaj 5古代 東大和市の古墳時代 一般に、古墳時代は3世紀中頃から7世紀後半までをさします。 この時代、残念ですが東大和市域では古墳が発見されていません。東大和市は北武蔵、南武蔵の中程に位置します。魅力的な 北武蔵 埼玉(さきたま)、比企・大里 南武 […] 共有:Tweet