東大和市の古墳時代

 一般に、古墳時代は3世紀中頃から7世紀後半までをさします。
 この時代、残念ですが東大和市域では古墳が発見されていません。東大和市は北武蔵、南武蔵の中程に位置します。魅力的な

北武蔵 埼玉(さきたま)、比企・大里
南武蔵 多摩川流域
の古墳群の中間にあって古墳のない地帯とは残念です。

武蔵の古墳と東大和市 
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最も近い古墳が所沢市の
・岩崎古墳群(山下後・村中・膳棚東の3遺跡 6世紀後半~7世紀初頭)
・海谷古墳群(海谷遺跡  7世紀初頭~中頃)です。狭山丘陵の北麓に位置します。

この古墳群に所沢市は
 「岩崎古墳群は在地の氏族集団の有力者が被葬者であるのに対し、海谷古墳群の被葬者は、鉄鏃などの武器を所有する武装集団であったと考えられる。」としています。(歴史物語p11)

狭山丘陵の古墳群と東大和市域の出土品 
図中、神社の書き入れは位置関係の表示で、古墳時代に存在したことを意味するものではありません。
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東大和市域の状況

 所沢市の古墳群は、狭山丘陵の峰を越えて直接東大和市域に関わりを持つことはなかったと推定されます。
 東大和市域では、この時代の遺跡として村山貯水池の湖底に沈んだ地域に土師器、須恵器の遺物、平安時代の住居址が確認されています。
 これらから、古墳時代にも小規模な水田を経営し、小さな竪穴住居に居住した人々が生活を展開していたと考えられます。
 集落を形成するのは平安時代と思われます。

 (2017.08.27.記)

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