明治時代の東大和 東大和市郷土博物館企画展示
 2018年9月15日~10月21日

会場入り口
クリックで大

 楽しみにしていた明治時代の東大和、行ってみました(2日目)。
 東大和市立郷土博物館1階の展示会場です。

 入り口右側に椅子が置いてあって、朗読劇「東大和の自由民権運動とそれを支えた人々」を上映しています。
受付は無くて自由に会場に入れます。
 早々と数人のお客さんが食い入るようにして説明を読み、展示品に目をやって居られます。

入り口から奥側方向 クリックで大

奥側から入口方向 クリックで大

 一見、表や説明板が並んでいて「オヤ?」と思います。
でも、読み込んで行くとこの企画独特の世界に引き込まれます。
地味ですが、内容はビックリするほど多岐に亘り豊富です。

 鑑賞の妨げにならないように、展示の項目の一部を紹介します。
 出品に手を触れない、撮影禁止のマークが貼ってあります。
 今回は、記事作成のため、許可を得て撮影しました。

幕末から明治初期にかけての東大和 年表など クリックで大

 最初に明治時代の出来事

 年表が2枚の大額にまとめられている。

 慶応4年・明治元年(1868)~明治45年(1912) 東大和関連、国全体に対比して東大和の変遷が辿れる。

 この年表は配布して欲しいですね!!

東大和の幕末

 嘉永6年(1853)ペリーの来航、開港、江戸周辺の治安の悪化などから「農兵」を組織した。
 画像 蔵敷調練場
 蔵敷に調練場跡が残る。市の文化財に指定している。    
 蔵敷組合農兵の構成と調練出席人数(慶応2年・1866)
 組合村の構成、出席人数など

振武軍
 慶応3年(1867)大政奉還、慶応4年(1868)4月、江戸城開城と歴史は移る。幕府の存続を願う者達は抵抗の戦いを続けた。
 その一派が振武軍で、東大和市域の村人達にも軍用金の差し出しを命じた。その関連資料が展示されている。
 振武軍に軍用金を出した組合村とその額(当時の組合村の構成図)
 飯能戦争に参加した藩 飯能戦争をめぐる新政府の動き

農兵・振武軍関係展示
クリックで大

明治の迅速図による村々の状況
明治5年(1872)の各村人口 平成30年(2018)年との比較

シヨーケースの展示 
 銃(農兵が使用)
 韮山笠(農兵が使用)
 農兵訓練の栞  
 振武軍への軍用金(寄付金)請取覚え書き(領収書)慶応4年5月

明治時代の行政、地租改正、徴兵制度など クリックで大

明治時代の行政地域 複雑な管轄変遷の経過が年表風に示される 
 江戸時代~明治26年(1893)三多摩の東京府移管までの出来事
 東大和市域内の村の状況
 北多摩郡総図
 狭山村の成立

奈良橋村戸長役場標識 書類箱

地租改正と地番関係の書類
 明治11年、12年の地租を明治17年(1884)に追納した台帳
 明治12年(1879)神奈川県が狭山村の土地所有者に発行した地券
 など
村長・収入役事務引継書 組合役場庶務規定

徴兵制 徴兵告諭 徴兵の儀説諭明治6年(1873)
東大和の消防

明治時代の教育制度、東大和の小学校
クリックで大

明治時代の東大和の小学校の変遷
クリックで大

明治時代の教育制度
 東大和の小学校

明治時代の東大和の小学校の変遷
 明治7年(1874)~10年(1877)の東大和市域の村々の小学校の変遷
 小学校の課業表(教科目)
 明治時代につくられた唱歌

ついたてで区切られて、ここから教育関係の展示になる。

教育関係資料 クリックで大

明治の教科書
修業證書
村山第三尋常小学校卒業生(狭山)
奈良橋村に置かれた小学校の配置や教室の図面(雲性寺境内図)
蔵敷の夜学、狭山の夜学
教師の碑

東大和の自由民権運動
衆楽会、自由民権学術演説会、内野杢左衛門、千葉卓三郎画像 クリックで大

東大和の自由民権運動
 多摩地域最初の学習結社と云われる衆楽会 衆楽会祝辞
 芋窪村学術演説会 奈良橋村懇親会 
 自治改進党 中和会
 蔵敷村新聞購読社
 内野杢左衛門、千葉卓三郎の写真

前のショーケース
 五日市憲法草案 五日市深沢家と千葉卓三郎関連史跡・記録

神奈川県下の三多摩、内国博覧会 クリックで大

神奈川県下の三多摩(明治4年(1871)から26年(1893)まで神奈川県に属した)
 神奈川県行政区域図(武蔵国北多摩郡とある)
 移管反対陳情署名町村
 三多摩の東京府移管

内国勧業博覧会・共進会
 明治政府は富国強兵、殖産興業を協力に推し進めた。その一環として内国勧業博覧会が開催された。
 表彰状は第三回(明治23年・1890)に紺絣が勝れたものとして褒賞されたもの。

太政官札(慶応4年・1868)と明治通宝(明治4年・1871)

多摩地域の郵便開始資料 クリックで大

多摩地域の郵便の始まりの資料
 明治13年(1880)小川郵便局開設
 明治14年(1881)地方特別郵便が施行され、村ごとに函場を設けた。
 明治16年(1883)、東大和市域内にも函場が設けられた。
 奈良橋鎌田家にも設けられ、当時、当家に逗留していた千葉卓三郎も投函したことが推測される。

養蚕関連 種繭の検査関係などの書類 クリックで大

養蚕
 東大和市域内の村々では江戸末期から養蚕が行われ、明治から昭和ににかけて全盛期を迎えた。
 明治44年(1911)春期種繭検査関連文書が展示されている。
   明治41年(1908)当時、桑畑が全域的に広がる様子が図で示されている。

テーブルの上
 左 雛道具 これを包んでいた反古紙に東京府蚕病予防事務所、生繭(なままゆ)などの文字が記されているという
 右 ヨウサンヒバチ 蚕の育て方に、天然育、清涼育、温暖育がある。温暖育の場合の温度を上げるための特殊な火鉢が図示されている。

絣織関連の展示 クリックで大

絣織(かすりおり)
 一名、村山絣、所沢絣と呼ばれ、明治期には大きな産業になりました。

絣の生産者について
 出機屋(でばたや・機屋)、賃機(ちんばた・ツボ)、内機屋の三者の役割やその関わりについて説明
 家族労働、織子などについても説明がある
 絣織りの伝播 狭山丘陵から周辺へと絣織りが伝播する様子を伝え、折り方を伝授した「中万」の徳利も置かれている。
 大和町の機屋の表は明治初年から昭和37年(1962)までの状況を各村ごとに表している。
ハタクサ(機草)果たしてなんでしょう?

前のショーケース
 蠶糸業組合証票や名簿 飛白織立通帳 受け渡し帳など

機織り機と機織り歌

 織物機の一部であり、縦糸と関わるハタクサ(機草)には川柳が書き込まれていて、この時代の風流を伝える。
 明治36年(1903)武蔵飛白同業組合章など武蔵絣同業組合の名称変更の歴史の証人も展示されている。
 「来るか来るかと 機音やめて けん棒つめたり たるめたり」
 当時の機織り歌が掲げられた前に機織機が展示されている。

 担当の方に
 「今回展示の主なポイントは何ですか?」
と聞いたら
 「五日市憲法はその一つと云えます・・・・」
 「他にイッパイあるんですね」
 「ハイ・・・」
との答えでした。
 ノートを取ってきて、さて、どれから手を付けるかと刺激されています。

 (2018.09.19.記)

東大和市郷土博物館 明治時代の東大和企画展示