ブログ

1大まかな歴史の流れ・略年譜

大まかな歴史の流れ 5 近世 4 荒れる村

1踏んだり蹴ったりお犬様 狭山丘陵周辺の生類憐れみの令 延宝8年(1680)8月、五代将軍に綱吉が就任します。武蔵野開発に力を入れた三代将軍家光の四男です。放漫になりかけていた幕制改革に着手しました。一方で、生類憐れみの …

大まかな歴史の流れ 5 近世 3生産性の低い新田 農間稼ぎ

  1 空堀川までが日常生活圏 早くに済ませた新田開発 一般的に大々的な武蔵野の新田開発は享保7年(1722)、江戸日本橋高札場に掲げられた武蔵野新田開発奨励のお触れ以降急速に進んだとされます。 しかし、東大和 …

略年譜 4中世

略年譜 4中世 1083(永禄3)~1087年(完治元年)後三年の役 宅部「御霊神社」について、鎌倉権五郎景正の家臣寺島小重郎がこの地に棲みつき、主君の霊を祀ったのが創始と伝えられ、小十郎は内堀を名のり神社に奉仕したとい …

大まかな歴史の流れ 5 近世 2 玉川上水・野火止用水の開削、細長い村

1玉川上水・野火止用水の開削 江戸市中の整備・家臣団の集住  江戸市中の整備が進むにつれ家臣団が江戸に集住するようになりました。 ・元和2年(1616)、駿府詰めの家臣団が江戸に移住、神田台を開拓、駿河台と称しました。 …

大まかな歴史の流れ 5 近世 1江戸時代初期

1徳川家康の家臣がやって来た 八王子城の落城 天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原城攻撃により、戦国大名の後北条氏は滅びます。東大和市の周辺では、6月23日、八王子城が前田利家、上杉景勝の攻撃により落城しました。家臣 …

大まかな歴史の流れ 4 中世 4北条氏康・氏直~徳川家康

1長尾景虎の関東出陣、三田氏の滅亡 長尾景虎の関東出陣 永禄3年(1560)秋、越後の長尾景虎は関東管領山内上杉憲政及び里見義堯・古河公方の子息・足利藤氏などの要請を受け、関東に出陣しました。翌永禄 4年(1561)3月 …

大まかな歴史の流れ 4 中世 3伊勢宗瑞・氏綱~武蔵制覇

1伊勢宗瑞の関東進出 地域領主の変化 15世紀中頃、武蔵野は関東の戦国時代と言われるほど戦乱が続きました。鎌倉公方足利持氏と上杉氏の間の争いが続いた享徳の大乱(1455~1483)は、武蔵の勢力に、これまでとは異なったよ …

大まかな歴史の流れ 4 中世2 南北朝~室町時代

1 新田義貞鎌倉攻めの時 新田義貞挙兵 元弘3年(1333)、 後醍醐天皇の倒幕の綸旨をもとに新田義貞が挙兵、兵を南下させました。義貞軍と鎌倉幕府軍は、小手指原(所沢市)、久米川(東村山市)、分倍河原(府中市)で相まみえ …

大まかな歴史の流れ 4 中世 1

狭山丘陵周辺の中世は明確な指標による区分が難しく、次の3区分で紹介します。 中世1 頼朝の旗揚げ~鎌倉幕府の終焉まで 中世2 南北朝~室町幕府=足利氏~上杉氏 中世3 戦国時代=後北条氏~豊臣秀吉 中世1 源頼朝の旗揚げ …

大まかな歴史の流れ 3 古代

古代 1古墳時代  300年代から600年代にかけて、 ・南の多摩川沿いには全長110メートルの芝丸山古墳(初期前方後円墳)をはじめとする一連の南武蔵の古墳群 ・北には4世紀末と考えられる全長115メートルの野本将軍塚古 …

1 2 »
PAGETOP
Copyright © 東大和の歴史 All Rights Reserved.
Powered by WordPress & BizVektor Theme by Vektor,Inc. technology.