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板碑の集中埋納

板碑は単独、お地蔵様と一緒、覆屋の中・・・など、様々にまつられます。今回は東大和市内で江戸時代に集中して埋納されていた例を紹介します。 狭山の杉本林志氏が著した『狭山之栞』に次のように紹介されています。 「古碑図 以上の …

永仁二年(1294)板碑

狭山丘陵周辺の板碑の造立は次の通り、13世紀後半に始まります。   市名               最古      最新  入間市   建長2年(1250)  所沢市   建長8年(1256)  東村山市  弘安6年( …

板碑(東大和市)

 中世を語り解明する有力な資料に「板碑」があります。秩父産の青い岩石(緑泥変岩)を材料にして、石板状にしたものです。「青石塔婆」とも呼ばれます。産地が近かったことと鎌倉街道が通じていたことから、武蔵には多数(約4万基)が …

宅部美作入道貞阿(やけべみまさくにゅうどうじょうあ)(1368年)

 中世、東大和市にはどのような人々が活躍したのでしょうか?  その一人に宅部美作入道貞阿がいます。普済寺版経典(1368年)に名が記されている人物です。   中世になると、仏教の経典はこれまでの書き写し中心から木版摺りが …

建武三年(1336)の鐘(豊鹿島神社)

元弘3年(1333)5月、新田義貞の鎌倉攻めで、近接する小手指、久米川、分倍と目の前で戦乱を目にした東大和の人々。鎌倉幕府が滅亡し、京都に戻った後醍醐天皇は、元号を建武と改めました。日本の時代が大きく動いた時でした。その …

東大和市中世の神社と寺院

東大和市の中世、狭山丘陵に板碑が建立されました。その一方で、谷ッを中心に集落が形成され、神社や寺院の創建が進みます。その位置関係は下図の通りです。 東大和市内中世の神社、寺院の創建関係の記録、伝承は次の通りです。 神社 …

給水塔のあった場所

2001年まで、日立航空機工業(株)変電所跡の前に立つと左側に給水塔が建っていました。 変電所跡とともに、給水塔は太平洋戦争で爆撃を受けた際の弾痕を残す貴重な戦跡でした。 変電所跡は保存され、給水塔も保存を願ったのですが …

箱根や八ヶ岳が噴火した時の灰が積もっている(多摩ローム)

「ナニ見つけてるんですか?」 「ここにも、埋蔵金伝承があるんですか?」  多摩湖自転車道の鹿島休憩所  休んでいた人が不思議そうに集まってきます。 「豊鹿島神社奥の宮の標識ですね・・・」 「古い神社なんですか?」 「その …

古い多摩川が運んだ石ころが残されている(芋窪礫層)

 「狭山丘陵は古い多摩川が削り残したんです」  「また冗談云って!」  「絶対ごまかされないから!」  東大和市蔵敷の熊野神社の本殿を拝観し終わって、一息ついての話題です。  「多摩川ってここから2キロ近く離れてますよ」 …

「武蔵国」に東大和市域は属することになった

 東大和市には古墳はまだ発見されず、奈良時代にかすかに定住が始まったようです。その時代の国の名前はなんと呼ばれていたのでしょうか。  日本書紀では、 ・天武12年(683) 12月13日 ・天武13年(684) 5月14 …

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