改修が終わった変電所跡2
改修が終わった変電所跡2
二階への階段部分です。
気になっていた階段と手すり、室内の壁に貫通した弾痕跡に向かいます。
弾痕跡は2箇所あります。手前の手すり、上部の手すりと壁面です。
改修結果は実に巧くみに処理されていました。
・元の階段の上にガラス製の階段をつけ、
・高くなった分だけ手すりをあげて新設したため、
・貫通部分はそのまま保存されていました。
もし、この部分の元の手すりと壁の位置がちぐはぐになっていたら、と心配でしたが、位置関係は全く変わらず保存されています。
外部からの射撃が建物内の鉄筋をむき出しにするほど激しかったことを物語ります。
2階に移ります。
2階の部屋はほとんど、従来の姿で変わりはありません。
東側の部屋も壁面、残された機種など、そのままにありました。
この窓と壁面の補修にはさぞ苦労されたと思います。
特に北側の壁の弾痕跡はその大きさ、角度や間隔などから、注目されていました。
今回の補修で、それらが維持できたことは成果です。
壁面も変わらずに保全されていました。
昭和30年(1955)に、この地に勤務していた友人と見た時には、壁面に弾痕の炸裂跡があったと記憶しています。
その後、埋められたように思われます。
機器はそのまま保存されていました。この機器類がいつ設定されたかについて、弾痕のある部分と機種の若干変わった部分があり、議論があります。ガイドの方が丁寧に説明されておりました。
とっておきの朗報です。
「赤とんぼ」の模型です。これだけ綺麗な色とは知りませんでした。
ここ、日立航空機(株)の工場で生産していたエンジンが付けられた95式練習機の模型です。
説明は1階の説明板「製造していたエンジン」にあります。
もう一つ、ここ変電所に必須の器機が展示されました。
高圧で送られてきた電流の変電に関する機器類です。
右側変流器には「變」の字が使われています。
これらの器機がどのように使われていたのか、詳しいガイドの方が居られます。じっくり聞いてお知らせします。
画像が多いため、サイトに決められた容量を超さないよう、今回の報告はこの位にします。
尾崎市長さんが気さくに話しに乗ってくれました。
解説のボランティア、担当の方々の造詣の深さに敬服です。
この事業を無事に遂行された職員の方々に感謝です。
頂いた団扇には「平和への熱い願いを未来へつなぐ」とありました。狭山丘陵の麓で、攻撃の瞬間を過ごした、小学校6年生の当時を、まざまざと思い出して、まさに平和への熱い思いに燃えました。
出口にあった案内です。
日曜日、水曜日の定例公開が楽しみです。解説の方々にいろいろ伺いながら、続きを書きます。
(2021.10.18.記 文責・安島)