蔵敷地域の神社(東京都東大和市 現況と明治初年)
蔵敷地域の神社(東京都東大和市 現況と明治初年)
1現在と明治初年の位置
蔵敷地域には、現在七社の神々がまつられています。
現在の地元の方々の呼び名で、御嶽神社(みたけじんじゃ)、熊野神社、浅間様(せんげんさま)、愛宕様、山の神様(山祗大神・やまずみ)、厳島神社(弁天様)、山王様(日枝大神)です(内は明治初年)。
東大和市域の他の地域では明治維新を機に多くの神々は村の鎮守に合祀されています。それが、蔵敷地域では7社ともにそれぞれの社にまつられています。3社の位置が変わっていますが、4社が従前の位置にあります。
そして、江戸時代から明治初めにかけての資料が残され、当時の社地や建物、周囲の立木の種類などをたどることができます(里正日誌)。
このページでは蔵敷地域の神社を一覧的にまとめました。各社の詳細については各社別に記しました。神社名か最後のリンク表示から参照下さるようにお願い致します。
各社の位置は明治初年までは、
・御嶽大神、愛宕大神、熊野大神、厳島明神、浅間大神が狭山丘陵の南麓、村人達の日常生活圏に位置しました。
・日枝大神が村々の居住地の南端、
・山祗大神が更に南の農耕地の中にまつられていました。
それが現在のように変わった背景には明治の宗教政策が考えられます。
2現在の状況
現在の姿を紹介します。詳細については各社のページをご覧下さるようにお願いいたします。
狭山丘陵の頂きに石の祠がまつられています。
①山の神社
創建 不詳
石祠には次のように彫られています。
右横 天保三壬辰年
正月吉祥日
左横 蔵敷邑
願主 内埜(野)杢左衛門重泰
天保3年=1832
明治初年の書き出しでは「山祗社(やまずみしゃ)」の記載が現在の立野四丁目にあります。
当時は
社地7畝(210坪・約700㎡) 本社など敷地1畝(30坪・約100㎡)村持、松、杉など80本とあり、こんもりとした森に囲まれてまつられていたことがわかります。同社が、現在地に移転したのかどうかは不明です。
②愛宕社
創建 不詳
石祠には次のように彫られています。
切妻屋根
右横 明治11年戌寅秋社日
正面 愛宕大神
左横 武藏国多摩郡蔵敷村共立
明治11年=1878
明治初年の書き出しでは御嶽神社と熊野神社の間に記されています。社地5畝(150坪・約500㎡) 本社など敷地20歩(20坪・約66㎡)村持として、杉、檜、欖、樅(もみ)、松など79本とあります。同社が、現在地にそのまままつられているのか否かは不明です。
③浅間社
熊野神社のやや右寄りの丘陵にまつられます。
創建 年代などは不明です。
石祠 銘がありません。
明治初年の書き出しでは蔵敷二丁目、現奈良橋川の南側に記されています。3明治初年の位置図をご覧下さい。
社地2畝15歩(75坪・約250㎡) 本社など敷地10歩(10坪・約33㎡)村持
樅、杉、松、檜など68本
とあります。同社がここに移転したのか否かは不明です。
④厳島神社
創建 内野家の伝承によると、永禄12年(1569)、かつて私有地に祠を建て奉斉し、天正の検地の際に貢租を免ぜられたと伝わります。
一方、小嶋家に伝わる古文書には、創建は天正6年(1588)、社殿造営は宝永5(1708)と記されています。
祭神 市杵島姫命
当初は、弁財天と称されていましたが、明治の改革により厳島神社と改称しました。弁財天の名の通り周辺は湧き水が豊富で、東京サンショウウオの生息地が保護されています。また、周辺の谷ッに広がる集落は風を防ぎ、日当たりが良く[姥の懐」の地名が付いています。東大和のよもやま話に「貯水槽になった弁天池」「ばばあのふところ」が伝わります。
⑤熊野神社
祭神 伊弊諾(いざなぎ)・伊弊丹(いざなみ)の両尊
創建 内野家の伝えによると蔵敷1ー367に鎮座する巌島神社が永禄年間(1558~1572)前後の創立といわれるところから、同一時期に創建されたものと推測されています。
小島蔵之助氏方の古文書によれば、創建は天文2年(1533)とあり、社殿の造営は寛永6年(1629)11月と記されています。
さらに、一説には修験が信仰の対象として勧請したとも伝わります。
境内に末社として、稲荷神社を含む三社をまつります(2社が確認)。
⑥御嶽神社
創建 不明です。御嶽神社(青梅市)を勧請したと伝えられます。
祭神 不明です。
境内に石神と「おみたらし」(自然湧水)があります。
東大和のよもやま話で「おみたらしで眼をあらえば、眼の病いがなおる」との伝承を伝えます。
なお、蔵敷地域で雨乞いをする場合、雲の神社で行われ、御嶽神社の「おみたらし」から水を汲んで祈願したと伝えられます。
⑦山王社
創建 不明です。
祭神 不明
明治初期の記録には「日枝大神」と記されています。
社地1畝15歩(45坪・約150㎡) 本社など敷地15歩(15坪・約50㎡)村持
杉、桜、松、椹(さわら)9本
とされ、塚になっていました。
地元では所在地を三本杉、神社を「山王様」と呼び、付近に「山王橋」があります。
江戸時代末、神社南側一帯に農兵の訓練所が設けられました。また、近くで敵討ちが行われ、東大和のよもやま話に伝えられます。
3明治初年の状況
現在の状況を記しましたが、明治初年には、下図のようにそれぞれの地にまつられていました。
里正日誌には社地や社、周囲の立木の種類などが残され、当時の姿をたどることができます。
さほど広くない敷地でも、周辺に木々が茂り社があり、村人と神々のつながりが偲ばれます。
以上、蔵敷地域の神社を一覧的にまとめました。
各社の詳細については各社別に記しました。下記のリンクから各ページをご覧下さるようにお願い致します。
(2018.11.04.記)