須賀神社(岸の天王様 武蔵村山市)

須賀神社(岸の天王様 武蔵村山市)

 「岸の天王様」といわれた須賀神社。狭山丘陵とその南麓に遙拝所と奥社の姿を留め、江戸時代の村人が必死に願った悪疫鎮護の思いが濃く残ります。中世創建の伝承もあります。

所在地 武蔵村山市岸2-24-3
祭 神 素戔嗚尊(すさのおのみこと)
    軻遇突智命(あぐつちのみこと)
    天照大神(あまてらすおおみかみ)
    豫母津事解之男神(よもつことわけのおかみ)
由 緒 創建 寛永10(1633)年6月15日、約2000㍍北方の狭山丘陵の峯に、現・奥の院をまつりました。
・「その頃、村内悪疫鎮護のため村民共有地にこれをまつる」と須加大神明細は記します。『資料編近代・現代』p354
・周辺の谷ッの地域を見守るような位置で、当時の村人達の心持ちが伝わります。
・寛政2年(1790)6月に、丘陵南麓の現在地に現・社殿を創立しました。(奥の院の遙拝所との位置づけ)
・江戸時代には牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)と呼ばれて、明治時代になり須賀神社と改称されました。
・古く、文治年間(1185~1189)建立との伝承もあります。
 その時には、大山祇神、日本武尊がまつられ、岸村が開かれたとき素戔嗚尊をまつったとされます。(『民俗編』p572~575)
・村人からは岸の天王様と呼ばれ、伝染病や悪い病気の鎮護の神様として厚く信仰されました。

須賀神社参道 クリックで大

 参道の左脇に力強い「庚申」の文字が彫られた庚申塔を拝しながら参道を進みます。

鳥居と須賀神社費、コース案内 クリックで大

 鳥居の右側に「須賀神社」碑、左側に「むさしむらやま歴史散策ーコース案内ー」があります。次のように説明されています。

むさしむらやま歴史散策ーコース案内ー

「江戸時代寛政二年(1790)の創建で、村内悪疫鎮護のため祀られたものです。岸の天王様ともいわれ、村人の信仰が篤く、境内の杉や樫の葉をいただき門□につるしておくと、伝染病にかからないといわれています。境内には、乃木大将書の明治三十七・八年戦役の碑があります。本殿は北方の丘陵に鎮座しています。
祭神 素戔嗚尊(すさのおのみこと) 軻遇突智命(あぐつちのみこと) 天照大神(あまてらすおおみかみ) 豫母津事解之男神(よもつことわけのおかみ)」

参道石段と案内板 クリックで大

北多摩神道青年会による由緒

 参道石段右側に案内板があります。北多摩神道青年会による須賀神社の由緒が記されています。

北多摩神道青年会掲示による須賀神社の由緒
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「創立年月等不詳ナリ 古老ノ口碑ニ 寛永拾年六月十五日創立 其ノ頃村内悪疫鎮護ノ為メ村内共有地ニ祭リ 神徳炳焉(へいえん=明らか)感應(かんおう=神の御加護)顕著ナルヲ以テ来拝者多ク 須賀神社ワ 二,〇〇〇米余ヲ隔ツル丘上ナルヲ以テ 寛政二年六月創立 信徒ノ便宜ノ為メ 遥拝所ヲ設ク 毎年七月十四日十五日ヲ例大祭日トシ神輿ヲ村内渡御ヲ定メ執行シ 昭和三十二年五月 遥拝所モ修理不可能トナル為メ 新規建替トナリ此ノ神殿ヲ本社ニ改メ信徒ノ便宜ヲ図リ ナホ昭和四十九年八月十日村内五柱ノ神社ヲ合併シテ 神社ノ尊厳ヲ高メ 信徒崇敬者便宜ヲ図ッタ
  北多摩神道青年会」

「創立年代などははっきりわかりません。古老の云い伝えでは、
・寛永10年(1633)年6月15日
・村内の伝染病や悪い病気を鎮めるため
・村人たちの共有地に
・創立したとします。

・須賀神社は2000㍍ほど離れた丘の上にまつられていたので、
・寛政2年(1790)6月
・信徒の便利のためこの地に遙拝所を設けました。(現在の須賀神社)
・毎年7月14日~15日を例大祭として、神輿が村内をめぐるようにしました。
・昭和32年(1957)5月、遙拝所も修理不可能となったので、新規に建て替えました。
・その時、この神殿を本社に改めました。(丘の上の社は奥の院・奥社とする)
・昭和49年(1974)8月10日、村内の5柱の神社を合併して神社の尊厳を高めて信徒や崇敬者の便宜を図りました。
 北多摩神道青年会」
 
 ○須賀神社は、時には岸の天王様とも云われ、村内悪疫鎮護の神様で、御利益が多く、人々に崇拝されていること
 ○本社と奥の院・奥社があること
 ○5柱の神社を合祀していること
 がわかりました。

境内社

 本殿のすぐ左脇に境内社の神々がまつられています。

須賀神社境内社の神々 クリックで大

 境内社として、次のような経緯で合祀の神々がまつられています。
 村の各地域にまつられていた、愛宕神社(愛宕大神 山際 84戸)、熊野神社(熊野大神 殿入 2戸)、熊野神社(熊野大神台 6戸)、神明社(神明入 6戸)、蚕影山神社(禅昌寺北の山上)の神々が境内社として合祀されています。

 明治の一村一座による合祀ではなくて、第二次大戦後の宗教法人法の適用によるとされます。昭和49年(1974)に合祀の手続きがとられ、昭和51年(1976)に遷座されました。(『武蔵村山市史 民俗編』p586)

 奥の院と祭神などについてはページを改め、次に続けます。

 (2020.03.04.記 文責・安島)

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