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炭の買い出し途中で争い(寛政3年・1791 蔵敷村)

炭の買い出し途中で争い(寛政3年・1791 蔵敷村)  駄賃稼ぎでしょう。炭の買い出しの途中で喧嘩になって、幕府の検視を求める事件が起こりました。  寛政3年(1791)1月です。蔵敷の村人が青梅まで炭を買い出しに行きま …

髪は藁で束ねよ、雨具は蓑笠を用いよ 天明8年(1788)のお触れ

髪は藁で束ねよ、雨具は蓑笠を用いよ 天明8年(1788)のお触れ  天明8年(1788)、天明の大飢饉の時です。東大和市域の村々に  「髪は藁で結え!」  との達しが来ました。  コロナの中での一斉休業が自粛か命令かで問 …

日立航空機工業(株)工場跡地の平和利用、多様な業種の立地

日立航空機工業(株)工場跡地の平和利用、多様な業種の立地  第二次世界大戦中、主に軍用機のエンジンを作っていた日立航空機工業(株)の工場群は、軍需産業の標的としてアメリカ軍の爆撃を受け、焼け野原となりました。戦災から解き …

文久のコロリ

文久のコロリ  令和の時代2年目(2020)、世界中でコロナ問題の対応に迫られます。江戸時代、文久2年(1862)、狭山丘陵周辺の村人は「コロリ」問題で悩まされました。この病に罹るとコロリと亡くなってしまうので「コロリ」 …

農間稼ぎ(のうま、のうかんかせぎ)

農間稼ぎ(のうま、のうかんかせぎ)  江戸時代、東大和の村々では農業の合間に盛んに「稼ぎ」が行われていました。    ・男は樵(きこり)や炭焼をし、  ・時には青梅や八王子に薪や炭を仕入れに行って  ・女は木綿の糸撚や機 …

墓地の移転とミイラ

墓地の移転とミイラ  大正4年(1915)、村山貯水池の湖底に沈む家々は移転を開始しました。  何しろ、狭山丘陵の峰を一峰超えての移転です。解体した家屋の材料はもちろん家財道具一式を運びます。  鉄道はありません。トラッ …

最初の公民館「東大和市立公民館」(後に南街公民館)

最初の公民館「東大和市立公民館」(後に南街公民館)  東大和市の最初の公民館は、昭和46年(1971)6月15日に開館しました。  「東大和市立公民館」(南街六丁目・老人福祉館の隣)です。  待ち望まれていた最初の公民館 …

東大和市立公民館の歴史

東大和市立公民館の歴史  東大和市の公民館の大まかな歴史です。  教育委員会は中央公民館と地区公民館あわせて、5館構想を定めました。  新堀地区に「新堀地区会館」が建設され、公民館事業が行われることになりました。  中央 …

夢と消えた武州鉄道

夢と消えた武州鉄道 昭和34年(1959)  ルートは確定しませんが、東大和市のほぼ真ん中を横に貫いて通る鉄道の計画がありました。  東京の三鷹市・吉祥寺から出発して、埼玉県の秩父市・御花畑に達する武州鉄道です。  吉祥 …

大和村役場の新築、奈良橋への移転

大和村役場の新築、奈良橋への移転  東大和市はこれまで村役場、町役場、市役所と次のように移動してきました。  ①高木神社東側(番組会所、連合戸長役場、大和村役場)  ②奈良橋(現在の奈良橋市民会館 大和村役場、大和町役場 …

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