村山貯水池(多摩湖)買収対象地域の集落

集落

 村山貯水池建設に伴い買収対象地域となった集落はどのような状況だったのでしょうか。
 住居戸数は162戸(161戸説もあります)でした。当時の村々の総戸数は771戸でしたので、約20%に当たります。
 その配置は下図の通りです。

村山貯水池買収対象地域の集落分布 クリックで大

 中央に石川(上流部)・宅部川(下流部)が流れ、集落は、その北側に各家がくっつき合うように密集していました。
 狭山丘陵の南麓を「表」と呼び買収対象となった地域を「裏」と呼んだのは、日没による日影の早さでもありました。

土地利用

 石川・宅部川を挟んで水田がありました。丘陵の斜面を利用して畑作が行われていました。それらの詳細は別に記しますが全体としての土地利用は下図の通りでした。当時の村全体の約23%に当たります。
 「四分の一をとたられただ」
と吐き捨てるように聞いたことがあります。

村山貯水池買収対象地域の土地利用 クリックで大

 圧倒的に山林が多く、斜面に造成される宅地はわずかでした。

大まかな歴史

村山下貯水池 手前水田跡 中央住宅地跡2段になっている クリックで大

 約、1万5000年千の旧石器時代からの遺跡が確認され、縄文時代には「縄文銀座」と呼ばれるほどの住居址が発見されています。弥生時代、古墳時代は未確認ですが、奈良・平安時代には僅かな人々の生活跡が確認されています。中世以降は南麓の村々よりも多くの史料が残され、より古い村であったことが伝えられます。
 ここでは、寺社の創建について最初の図の左側から紹介します。各寺社については「神社と寺院」のページを参照下さい。

 慶性院 寺伝では
   開基 羕尊上人が遷化された天文16年(1547)
   開山 羕秀上人が遷化された慶長6年(1601)
 住吉神社
   不明
 蓮華寺
   草創・開山、開基は不詳
   寛永8年(1631)4月12日入寂した承雲を中興開祖とする
 御霊神社 社伝では
   康平6(1063)年 鎌倉権五郎景政の家来に関する伝承を残します。
 杉本神社
   不明

『狭山之栞』が伝える氷川神社の棟札 クリックで大

 

 氷川神社
   健保2年(1214)大旦那 石井美作 『狭山之栞』によります。
   石井美作の菩提寺である三光院では「開基の石井美作が延文4年(1359)没」とします。
 三光院
   草創・開基の年代は不明です。二つの伝承があります。
 ①『新編武蔵風土記稿』
 「開山は圓長と云、天永三(1112)壬辰五月三日寂す」
  東大和市内では最も早い開山となります。
 ②寺伝
  開山となった快光法印は延文二年(1357)六月一日に入寂。
  開基の石井美作が延文四年(1359)に没。とします。

◎石川地区には東大和市域内で最古の慶雲4年(707)の創建伝承を伝える豊鹿島神社の創健者・蘇我倉山田の石川麿伝承が伝わります。

  (2019.01.10.記 文責・安島喜一)

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