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東大和の歴史

韮山県と品川県を行ったり来たり (明治の最初に属した県)

韮山県と品川県を行ったり来たり (明治の最初に属した県)  幕末から明治初年にかけて、東大和市域の村人は  「いってえ、おら方はどうなんのよ?」  と、新しい府県制度に戸惑いました。  慶応4年(1868)閏4月27日、 …

幕末の村の領主様(安政2年・1855)

幕末の村の領主様(安政2年・1855)  東大和市域の幕末の村の姿です。一般的な様子は『新編武蔵風土記稿』などに描かれますが、今回は視点を変えて、村の領主・支配関係から紹介します。 安政2年(1855)3月、東大和市域に …

テレスケ太鼓と夜学 「報恩感謝之記額」

テレスケ太鼓と夜学 「報恩感謝之記額」  狭山神社、社殿正面左側の上の方に「報恩感謝之記」の額が奉納されています。  標題から難しい字ですが、奉納者は「共励学会々員」で、明治34年(1901)の日付があります。時を経たた …

内堀先生の碑(東大和市狭山)

内堀先生の碑  狭山神社の表参道左側、狭山公民館前に碑があります。  狭山地域の教育者として名高い「内堀先生の碑」です。  内堀先生は、村山貯水池の湖底に沈んだ内堀地域に、幕末の嘉永6年(1853)6月、誕生しました。 …

御霊神社

御霊神社 村山貯水池の湖底に沈んだ区域に、江戸末期戸数28戸、明治12年(1879)氏子数98戸の内堀と呼ばれる集落がありました。村人達は「内堀村」を名乗りたかったようですが、江戸時代から明治8年(1875)まで「宅部村 …

円乗院

円乗院 所在地 狭山三丁目 1354番地 新義真言宗、智山派。本尊・不動明王。 愛宕山医王寺圓乘院東円坊。 狭山丘陵の中腹に位置する平安時代末期の創建を伝えるお寺です。 市内の寺院の多くが武蔵村山市中藤の真福寺末ですが、 …

殉国産業戦士供養塔(円乗院7-1)

殉国産業戦士供養塔(円乗院7-1) 円乗院の本堂左奥には、忘れてはならない第二次世界大戦中に係わる供養塔の一つがあります。千体地蔵尊に見守られるようにまつられています。現在の桜が丘、立野地区に起こった痛ましい戦争の犠牲に …

山の神が原にまつられた

狭山神社本殿の石段を登ると左側に山神社があります。 歴史的には村人達が居住地としていた狭山丘陵南麓から遙か南の畑が続く一角にまつられていました。 いつ頃からまつられたのか創建年代については、古書が 『新編武蔵風土記稿』 …

石神の話(東大和のよもやま話)

村山下貯水池の建設とともに、湖底に沈んだ上宅部に伝わる話です。下の堤防から二つの取水塔が見えます。その奥の方に近いところでした。 そこは、石塔前という特別の名前で呼ばれていました。村人達にとって、大事な大事な「石神」様が …

かたき討の話(東大和のよもやま話)

天保年間、天候が安定せず、飢饉、物価高が続きました。80%の村人達が飢えて、お互いに融通し合って過ごす中で、行き倒れや捨て子の記録とともに、長脇差や刀を帯びた「無宿」や「渡世人」が渡り歩いたことが伝えられます。 その時、 …

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