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東大和の歴史

東大和市中世の神社と寺院

東大和市の中世、狭山丘陵に板碑が建立されました。その一方で、谷ッを中心に集落が形成され、神社や寺院の創建が進みます。その位置関係は下図の通りです。 東大和市内中世の神社、寺院の創建関係の記録、伝承は次の通りです。 ・豊鹿 …

給水塔のあった場所

2001年まで、日立航空機工業(株)変電所跡の前に立つと左側に給水塔が建っていました。 変電所跡とともに、給水塔は太平洋戦争で爆撃を受けた際の弾痕を残す貴重な戦跡でした。 変電所跡は保存され、給水塔も保存を願ったのですが …

箱根や八ヶ岳が噴火した時の灰が積もっている(多摩ローム)

「ナニ見つけてるんですか?」 「ここにも、埋蔵金伝承があるんですか?」  多摩湖自転車道の鹿島休憩所  休んでいた人が不思議そうに集まってきます。 「豊鹿島神社奥の宮の標識ですね・・・」 「古い神社なんですか?」 「その …

古い多摩川が運んだ石ころが残されている(芋窪礫層)

 「狭山丘陵は古い多摩川が削り残したんです」  「また冗談云って!」  「絶対ごまかされないから!」  東大和市蔵敷の熊野神社の本殿を拝観し終わって、一息ついての話題です。  「多摩川ってここから2キロ近く離れてますよ」 …

「武蔵国」に東大和市域は属することになった

 東大和市には古墳はまだ発見されず、奈良時代にかすかに定住が始まったようです。その時代の国の名前はなんと呼ばれていたのでしょうか。  日本書紀では、 ・天武12年(683) 12月13日 ・天武13年(684) 5月14 …

東大和市の旧石器時代遺跡

2万年から1万2千年前に、東大和市に生活の足跡を残したのが旧石器時代人です。生活の基本道具であった石器やキャンプして石焼き調理に使ったと考えられる集石遺構を残しています。 11が多摩湖11遺跡 12 多摩湖12遺跡 13 …

鬼高式土器だけが残された(諏訪山遺跡)

 東大和市でも古墳時代の人々が住んでいた住居址が発見される可能性がありました。現在の湖畔地区です。昭和41年(1966)この地域の開発が行われ、ブルトーザーが削平を始めました。  「昔の茶碗が出てきた」  との知らせに、 …

東大和市の古墳時代

一般に、古墳時代は3世紀中頃から7世紀後半までをさします。この時代、残念ですが東大和市域では古墳が発見されていません。東大和市は北武蔵、南武蔵の中程に位置します。魅力的な 北武蔵 埼玉(さきたま)、比企・大里 南武蔵 多 …

細長い村ができた

玉川上水・野火止用水の開削 承応3年(1654)玉川上水が開削され、次いで、翌承応4年(1655)野火止用水が開削されました。茫漠たる武蔵野の原野に一路の水路が通りました。これを待ち受けていたように、翌年の明暦2年(16 …

貞治七年の板碑いずこ

貞治七年(1368)は河越氏が時の幕府、関東管領上杉憲顕に反乱を起こし、武蔵に平一揆と呼ばれる戦乱が起きた年です。河越氏は上杉軍に攻められ、河越館で落城の憂き目に遭いました。それに加わった山口氏の高清が自害を遂げたと伝え …

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