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東大和の歴史

大まかな歴史の流れ 4 中世2 南北朝~室町時代

1 新田義貞鎌倉攻めの時 新田義貞挙兵 元弘3年(1333)、 後醍醐天皇の倒幕の綸旨をもとに新田義貞が挙兵、兵を南下させました。義貞軍と鎌倉幕府軍は、小手指原(所沢市)、久米川(東村山市)、分倍河原(府中市)で相まみえ …

大まかな歴史の流れ 4 中世 1

狭山丘陵周辺の中世は明確な指標による区分が難しく、次の3区分で紹介します。 中世1 頼朝の旗揚げ~鎌倉幕府の終焉まで 中世2 南北朝~室町幕府=足利氏~上杉氏 中世3 戦国時代=後北条氏~豊臣秀吉 中世1 源頼朝の旗揚げ …

大まかな歴史の流れ 3 古代

古代 1古墳時代  300年代から600年代にかけて、 ・南の多摩川沿いには全長110メートルの芝丸山古墳(初期前方後円墳)をはじめとする一連の南武蔵の古墳群 ・北には4世紀末と考えられる全長115メートルの野本将軍塚古 …

大まかな歴史の流れ 2 先史

先史 1旧石器時代 東大和市の地域に人が住み始めたのはいつ頃でしょうか? 現在のところ、約2万年前とされます。というのはその時代の石器が発見されているからです。狩猟と採集の生活の中、獲物を捕らえる貴重な道具であった槍の先 …

大まかな歴史の流れ 1 地質

1東大和市は海の中にあった 「その話、本当なんですか?」 最初に返ってくる一言です。 村山貯水池の建設工事の時に発見されたマガキの写真の載る市の資料をお見せして、半信半疑のところへ、 「それも、一カ所じゃないんです。」 …

玉川上水への通船4 通船の廃止

1沿岸住民の妨害  玉川上水上流部では、通船の主体者となる村々が沿線を占めていましたが、下流部では関わりが薄く、高井戸、笹塚周辺からは妨害行動が起こされています。通船が開始されて間もなくの明治3年(1870) 5月、次の …

玉川上水への通船3 分水口の改正 (水不足が生じてきたか?)

 通船の過程で、やがて、東大和市として大きな影響を受ける村山貯水池建設の要因ともなる東京の水不足を伝える出来事が見えてきました。 分水口の改正 玉川上水は江戸市中への飲料水の供給と共に武蔵野の新田開発をした各地へ飲料水や …

玉川上水への通船2 明治の通船開始

 明治の通船 1通船願い  江戸時代末期、商人、名主は玉川上水への通船を願い出ました。幕府も砂利運搬計画をもって上水への筏利用を図ります。この時期に明治維新を迎えました。地元の名主は、明治2年(1869)になると名を連ね …

玉川上水への通船1 江戸時代

明治の3年(1870)から5年(1872)までのわずかな期間でしたが、玉川上水に船を浮かべ物資の運搬が行われました。玉川上水は東大和市のすぐ近くにありながら、直接には接していません。しかし、 ・野火止用水の取り入れ口に近 …

変電所跡 その二 変電所の現状 外部 (東大和指定文化財「市史跡」) 

 東京瓦斯電気工業(株)、日立航空機(株)立川工場の基本施設が変電所でした。工場の近くまで高圧線で運ばれてきた高圧電流を低圧に変電して工場内に配電する施設です。  昭和20年(1945)2月17日および4月19日、24日 …

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