ブログ
  • HOME »
  • ブログ »
  • 東大和の歴史

東大和の歴史

大まかな歴史の流れ 6 現代 1明治 3行政区分の変更

大まかな歴史の流れ 6 現代 1明治 3行政区分の変更  江戸から明治に移り、村は変わります。徳川幕府中心であった支配機構、行政区分に度重なる変更が行われました。政体書の公布、版籍奉還、廃藩置県とめまぐるしく変わります。 …

大まかな歴史の流れ 6現代 1明治 2村議会他

大まかな歴史の流れ 6現代 1明治 2村議会、自由民権、村山貯水池 1村議会の成立から連合戸長制へ (1)町村会規則 明治12年(1879)6月13日、神奈川県は「町村会規則」を布達しました。村に「村会」を置くことを定め …

大まかな歴史の流れ 6現代 1明治 1明治の村

大まかな歴史の流れ 6現代 1明治 1明治の村 (1)高札の書き換え  慶応4年(9月から明治元年・1868)、新政府は旧幕府の高札を撤去し、改めて新札を掲げるようにとの通達を出し、蔵敷村では、3月16日に受けました。3 …

盗賊二人打ち殺しのこと

盗賊二人打ち殺しのこと  幕末です。明治維新寸前の慶応4年(1868)閏4月16日のことです。現在の多摩都市モノレール桜街道駅から青梅橋にかけての桜街道(旧青梅街道)での出来事です。  当日は晴れ、午前10時頃です。芋久 …

大まかな歴史の流れ 5 近世 5 幕末の緊張

大まかな歴史の流れ 5 近世 5 幕末の緊張 1 黒船来航・松材切り出し ペリー来航 嘉永6年(1853)6月3日、ペリーが黒船を引き連れ、浦賀沖から江戸湾に姿を現しました。アメリカ大統領の親書を持っての和親、開港要求で …

東大和市域の属した「郷」は、そして「郡界」は?

東大和市域の属した「郷」は、そして「郡界」は?  東大和市域の北側は東京都と埼玉県の境です。これがどのようにして生まれたのかの謎解きです。  武蔵国の成立にともない、国郡制のもと、7世紀から8世紀初めにかけて地方制度が整 …

将門の乱と西楽寺の不動明王像

将門の乱と西楽寺の不動明王像  東大和市に平将門(たいらのまさかど)の乱に関わる伝承があります。乱との直接の関係は薄いのですが、村山貯水池に沈んだ西楽寺(さいらくじ)の不動明王像です。  西楽寺は、かっての後ヶ谷村(うし …

廻田谷ッ東遺跡

廻田谷ッ東遺跡  歴史って楽しいです。  特に古代から中世にかけての遺跡探しは胸を躍らせます。東大和市でも話題が沸騰したことがあります。  2001年7月15日、東大和市内で最初の中世遺跡かと胸をとどろかせる発掘がありま …

連合戸長役場跡(東大和市高木 明治17年・1884)

連合戸長役場跡(東大和市高木)  高木神社・塩釜神社の正面向かって右側に、土蔵と社務所があります。この地には、明治の頃、市役所の原型とも云える「番組会所」(明治6年)、「連合戸長役場」(明治17年)、「組合村役場」(明治 …

狭山村(さやまむら)の誕生(東大和市・地租改正・明治8年)

狭山村(さやまむら)の誕生(地租改正・明治8年)  狭山神社周辺から霊性庵、東邦団地、西武団地、村山貯水池一帯が狭山村をつくった旧地です。  貯水池に沈んだ地域に「宅部村」、丘陵の谷ッに「後ヶ谷村」がありました。  明治 …

1 2 3 9 »
PAGETOP
Copyright © 東大和の歴史 All Rights Reserved.
Powered by WordPress & BizVektor Theme by Vektor,Inc. technology.