大和基地跡地の部分開放・一時使用
大和基地跡地の部分開放・一時使用
現在は、その形跡を残していませんが、米軍大和基地返還運動の中で、画期とも云える基地の部分開放・一時使用が実現しました。
現在の桜が丘三丁目、警視庁総合教養訓練施設、東京都水道局東大和給水所の箇所です。かって、ここも米軍大和基地の一部で、野球場とトラックなどスポーツ施設を設けて米軍が使用していました。
◎昭和48年(1973)1月23日、日米安保協議委員会が開催され、在日米軍基地の整理統合問題が討議されました。
結論は、立川基地その他と共に大和基地の全面返還が合意されました。
具体的には、向こう三か年の間に国に返還され、その後、跡地の利用が決まることになりました。
◎東大和市は早速運動を開始しました。
・跡地の利用が決まるまで、運動施設のある場所を市民に使わせて欲しい。
・そのために基地の部分開放をして、一時使用を認めて欲しい
市長、市議会、関係組織、市民で構成された基地対策協議会総ぐるみで、国会、都議会を初め関係者、機関に対して何回も働きかけを行いました。その成果が実り
◎昭和48年(1976)11月26日、大和基地跡地の運動施設の暫定使用覚え書きを大蔵省関東財務局と結ぶまでに至りました。
ただし、覚書には、一時使用は「将来の跡地利用とは関係ない」ことが明記されています。跡地の利用をめぐって、警視庁の希望(職員教養施設として使用)、西武鉄道(株)の動き(車両基地および駅舎ビルとして使用)が伝えられており、市の計画と競合することが十分予測されましたが、一つの山場と受け取れました。
基地跡地の部分開放・一時使用
・昭和48年(1973)12月1日、市報「東やまと」159号、12月15日160号で、その状況を報告しています。
東大和中央図書館に保管されています。詳細はお読み下さるようお願い致します。
◎一時使用は決まっても跡地利用の全面解決は困難であり、「新しい局面に」直面していること、なお運動を継続することが必要であることを報じています。そして、野球場とグラウンド施設は土曜、日曜日に、市民に開放されることになりました。
市は、昭和49年(1974)10月10日、第五回市民レクリエーション大会を一時開放された基地跡地で開催しました。
約2,000人の市民が参加しました。
東大和市民は土・日に優先して使用できました。
1回の使用時間は3時間とし、原則有料でしたが、スポーツを目的とする場合は教育委員会に登録すれば無料でした。
従来の基地跡地処分からは異例とも思える今回の一時開放でした。しかし、跡地の全体的な利用については、まだまだ問題がありました。市はその問題解決に奔走します。
次ぎに続けます。
(2019.06.20.記 文責・安島喜一)