大正十五年六月銘橋柱
大正十五年六月銘橋柱
大正十五年の年号を刻む橋の柱があります。この年号、ありそうで、なかなか見当たりません。
大正15年(1926)12月25日、大正天皇の崩御により、皇太子裕仁親王が皇位を継承して、即日「昭和」と改元されました。改元されるとその年は新年号で呼ばれるため、大正15年の年号はあまり使われないようです。
162戸の家々と旧石器時代から続いてきた伝統ある古村を湖底に沈めて、工事が進められてきた村山貯水池の建設も完成間近のことです。場所は村山下貯水池、地元では12段と呼ばれる所にかかる滝見橋です。
・貯水池のシンボルとも云える堰堤・堤防は
上貯水池 大正6年(1917)10月1日着工、大正13年(1924)3月321日完成
下貯水池 大正5年(1916)5月23日着工、昭和2年(1927)3月31日完成
・見る人、誰もが美しいと共感する取水塔は
上貯水池 大正11年(1922)4月21日、工事着工、大正12年(1923)9月15日完成
下貯水池 大正12年(1923)1月23日、工事着工、大正14年(1925)7月31日完成
・下貯水池に、取水塔から取水して、なお余裕のある水を流した施設に余水吐(よすいばけ)があります。
大正14年(1925)3月10日着工、大正15年(1926)6月20日完成しました。
◎今回紹介する滝見橋の橋柱はこの余水吐に関係します。
武蔵大和駅方面から下貯水池堰堤に達する手前に画像のような施設を見ることが出来ます。
貯水量が必要以上に増えると、仕切りをあげて放流されました。
放流された水は滝のように流れました。そこから、地元では12段と呼びます。
滝見橋はこの12段・余水吐に架かる橋です。
このようにして、村山貯水池全体は昭和2年(1927)3月31日完成しました。
(2019.07.01.記 文責・安島喜一)
村山貯水池関連記事