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東大和の歴史

諏訪山遺跡(縄文時代中期)

諏訪山遺跡(縄文時代中期)  東大和市の先史時代を語る代表的な遺跡の一つに諏訪山遺跡があります。限られた一部の発掘でしたが6軒の家の跡、5つの窯の跡、たくさんの土器片、石器が見つかりました。縄文時代中期、今から5000年 …

東大和市に古代からの人が定着する様子

東大和市に古代からの人が定着する様子  東大和市に古代から中世にかけて人々が定着する様子を追っています。多くの場合、狭山丘陵につくられた谷ッに見られそうです。その中から一例として「廻田谷ッ」(めぐりたやつ)を紹介します。 …

幻に消えた村山軽便鉄道2

幻に消えた村山軽便鉄道2  さて、いつ出来るのか? 村人達、村山貯水池建設関係者は最大の関心事として見守ったことでしょう。こうして調べている者も気をもみます。  ところが、ところがです。どうしたことか、免許が下付された同 …

幻に消えた村山軽便鉄道1

幻に消えた村山軽便鉄道1  もし出来ていれば、狭山丘陵南麓は、今頃、どのようになっていたかと興味津々です。  東大和付近の人々にとって、甲武鉄道(現・中央線)と川越線(現・西武鉄道国分寺線)が唯一の鉄道でした。そこへ、狭 …

豊鹿島神社本殿の棟札4(東大和市)

豊鹿島神社本殿の棟札4  豊鹿島神社本殿の棟札の続きです。慶長六年(1601)、正保三年(1646)の二枚について記します。特色は、施主がはっきりして、徳川家康、家光の家臣で、芋窪村(いもくぼむら)をおさめる地頭が大旦那 …

豊鹿島神社本殿の棟札3(東大和市)

豊鹿島神社本殿の棟札3  豊鹿島神社現本殿の棟札の続きです。創建棟札(文正元年・1466)、天文19年(1550)の棟札に続いて3枚目になります。 (3)天正4年(1576)棟札について   豊鹿島神社現本殿棟札に、天正 …

豊鹿島神社本殿の棟札2(東大和市)

豊鹿島神社本殿の棟札2  豊鹿島神社現本殿の棟札の続きです。創建棟札(文正元年・1466)に続いて、天文19年(1550)の棟札が発見されています。 (2)天文19年(1550)棟札について 表面    武州多東郡上奈良 …

奈良橋郷(東大和市)

奈良橋郷(ならはしごう)  狭山丘陵周辺の中世の郷に「奈良橋郷」がありました。狭山丘陵の中世の郷は一般的には ・丘陵北部 山口、久米川、荒畑、宮寺 ・丘陵南部 村山、宅部  とされます。これに加えて奈良橋郷があったことが …

中世の村・廻田谷ッ(東大和市)

中世の村・廻田谷ッ  東大和市内で中世の村落の姿をそのまま見るのは困難です。幸い湖畔三丁目に、二つ池公園があり、周辺から平安時代後半から中世にかけての遺跡が発見されています。  湧き水、平安時代遺跡、谷ッの水田、板碑、寺 …

千葉卓三郎が奈良橋村に滞在(東大和市)

千葉卓三郎が奈良橋村に滞在  五日市憲法草案の作成にあたった千葉卓三郎が奈良橋村(現・東大和市)の鎌田家に滞在していました。明治14年(1881)5月~9月にかけてのことです。当時、千葉卓三郎は深沢村(現・あきる野市五日 …

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