2017年10月8日 / 最終更新日時 : 2023年6月17日 musashinoaj 6中世 板碑(東大和市) 中世を語り解明する有力な資料に「板碑」があります。秩父産の青い岩石(緑泥変岩)を材料にして、石板状にしたものです。「青石塔婆」とも呼ばれます。産地が近かったことと鎌倉街道が通じていたことから、武蔵には多数(約4万基)が […] 共有:Tweet
2017年10月5日 / 最終更新日時 : 2022年1月15日 musashinoaj 6中世 宅部美作入道貞阿(やけべみまさくにゅうどうじょうあ)(1368年) 中世、東大和市にはどのような人々が活躍したのでしょうか? その一人に宅部美作入道貞阿がいます。普済寺版経典(1368年)に名が記されている人物です。 中世になると、仏教の経典はこれまでの書き写し中心から木 […] 共有:Tweet
2017年10月3日 / 最終更新日時 : 2020年9月14日 musashinoaj 6中世 建武三年(1336)の鐘(豊鹿島神社) 元弘3年(1333)5月、新田義貞の鎌倉攻めで、近接する小手指、久米川、分倍と目の前で戦乱を目にした東大和の人々。鎌倉幕府が滅亡し、京都に戻った後醍醐天皇は、元号を建武と改めました。日本の時代が大きく動いた時でした。そ […] 共有:Tweet
2017年9月26日 / 最終更新日時 : 2023年12月9日 musashinoaj 6中世 東大和市中世の神社と寺院 東大和市の中世、狭山丘陵に板碑が建立されました。その一方で、谷ッを中心に集落が形成され、神社や寺院の創建が進みます。その位置関係は下図の通りです。 東大和市内中世の神社、寺院の創建関係の記録、伝承は次の通りです。 神社 […] 共有:Tweet
2017年9月14日 / 最終更新日時 : 2020年9月14日 musashinoaj 8現代 給水塔のあった場所 2001年まで、日立航空機工業(株)変電所跡の前に立つと左側に給水塔が建っていました。 変電所跡とともに、給水塔は太平洋戦争で爆撃を受けた際の弾痕を残す貴重な戦跡でした。 変電所跡は保存され、給水塔も保存を願ったのですが […] 共有:Tweet
2017年9月10日 / 最終更新日時 : 2024年3月5日 musashinoaj 3地質 箱根や八ヶ岳が噴火した時の灰が積もっている(多摩ローム) 「ナニ見つけてるんですか?」 「ここにも、埋蔵金伝承があるんですか?」 多摩湖自転車道の鹿島休憩所 休んでいた人が不思議そうに集まってきます。 「豊鹿島神社奥の宮の標識ですね・・・」 「古い神社なんですか?」 […] 共有:Tweet
2017年9月8日 / 最終更新日時 : 2023年8月5日 musashinoaj 3地質 古い多摩川が運んだ石ころが残されている(芋窪礫層) 「狭山丘陵は古い多摩川が削り残したんです」 「また冗談云って!」 「絶対ごまかされないから!」 東大和市蔵敷の熊野神社の本殿を拝観し終わって、一息ついての話題です。 「多摩川ってここから2キロ近く離れてま […] 共有:Tweet
2017年9月4日 / 最終更新日時 : 2023年1月23日 musashinoaj 5古代 「武蔵国」に東大和市域は属することになった 東大和市には古墳はまだ発見されず、奈良時代にかすかに定住が始まったようです。 その時代の国の名前はなんと呼ばれていたのでしょうか。 日本書紀では、 ・天武12年(683)12月13日 ・天武13年(684)5月 […] 共有:Tweet
2017年8月31日 / 最終更新日時 : 2023年7月22日 musashinoaj 4先史 東大和市の旧石器時代遺跡 東大和市の旧石器時代遺跡 東大和市に最初に住んだ人は、どんな人、いつ頃? 顔つきや身長、どんな服を着て、どんな家に住んでいた、何を話していた・・・などはわかりません。でも、確実に人々が活動していることがわかっています […] 共有:Tweet
2017年8月30日 / 最終更新日時 : 2023年11月22日 musashinoaj 5古代 鬼高式土器だけが残された(諏訪山遺跡) 東大和市でも古墳時代の人々が住んでいた住居址が発見される可能性がありました。現在の湖畔地区です。昭和41年(1966)この地域の開発が行われ、ブルトーザーが削平を始めました。 「昔の茶碗が出てきた」 との知らせに、 […] 共有:Tweet