子供みこし(モニュメント18)

子供みこし(モニュメント18)

 蔵敷公民館の正面入り口、向かって右側の一遇です。催し物があるときは自転車置き場のはずれになります。
 あまり目立ちませんが、面白い話題が詰め込まれています。

蔵敷公民館表門を入って右側 子供みこし

 「お灯明かしら・・?」
 「蓋みたいになってるところから、水が出るんじゃない」

子供みこしと説明板 クリックで大

  「下から人が押し上げてる」
  「上の飾りは鳥みたい」
 「・・・・・」

 そこへ子供さんが来て
 「オミコシ、かついでんじゃないの」

 そうなんです、斜め下から見ればいっぺんに解決で、子供さんが神輿を担いでいます。平成4年10月29日、この地に置かれたモニュメント「子どもみこし」です。

 モニュメントの前側の説明板は次のように紹介します。

 作品紹介
  昔、蔵敷に子供だけのお祭りがありました。毎年養蚕が終わり、さつまいもを取り入れるまでの間に行なわれました。
  祭りには、小学五、六年生の男の子が中心になって子供みこしをかついだそうです。
  当日、みこしは、神主さんのおはらいを受け、二十人位でかつぎます。タスキに大きい子は大きな鈴を、小さい子は小さい鈴を五個づつつけて、シャン、シャン、シャンッと響かせました。家々を一軒一軒歩き、おひねり(祝い金)を集めたそうです。-東大和のよもやまばなしから-

青梅街道、蔵敷地区、熊野神社入り口
クリックで大

 このおひねり集めがどうして、どうしてのものでした。青梅街道のかっての熊野神社入り口です。秋口になると、ここに、灯籠がずらりと並びました。シャン、シャンシャンと賑やかに鈴の音を響かせて御神輿が渡ります。

 子供の祭りの日です。そのいきさつを『東大和のよもやま話』は次のように伝えます。

 「蔵敷に子供だけの祭りがありました。熊野神社の氏子総代が「祭りをやんべえ」と子供達に声をかけます。
子供中は小学三年生からの男の子で、五・六年生が中心になって、一切を取り仕切ります。

 毎年秋の蚕が終り、さつまいもを取入れるまでの十月八日、九日が祭りの日でした。祭りの一ヶ月前になると、子供達は太子堂に集って準備にかかります。

 祭りの費用は村中一軒一軒もらって歩くおひねりでやることになっているので、全部ツケにしてもらって準備をします。どこの家はいくらと予算を立てました。当時蔵敷は七十軒位でした。おひねりの中身は十銭から二十銭位でした。

 みこしは二十人位でかつぎました。白い半袖シャツに半パンツ。タスキに大きい子は大きな鈴を、小さい子は小さい鈴を五ヶづつつけて、シャン、シャンシャンッと村中に響かせました。

 夜宮のひるは村中を練り歩き、おひねりをもらいます。会計係の子はもらったおひねりに目を光らせ素早くあらためて、予算より少ないと庭先でいつまでも、いつまでも練ってねばります。家の人が気付かないと最後は大戸にぶつつけます。

 また日頃意地悪をしたり、白を黒というようないやな奴は、子供同志であれをやろうと相談しておき、ころあいをみて天水桶に突込んで、日頃のうっぷんを晴らします。みんなでやれば恐(こわ)くないといったところでしょうか。

左端の神輿庫に現在も子ども神輿は保存されている
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 灯ろうの番人がいて、芋窪や奈良橋から灯ろうやみこしをこわしにくる者を追い払ったりケンカの仲裁をするのに一メートル位の竹の棒を先の方をささらに切って腰にぶら下げ、ザーッ、ザーッと引きづって歩いていました。

 青梅街道の灯ろうにランプの灯が入り子供の声が一段と高くなって祭りは盛り上ります。」(一部省略 p137~138)62

 子供達の天下でした。
 「僕たちもやりたいね・・・」
 とお子さん達は羨ましげです。

 (2019.03.20.記 文責・安島喜一)

 東大和のよもやま話・子供みこしのこと
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