幻の村山村騒動3

 明治34年(1901)、当時の東大和市域は、芋窪村、蔵敷村、奈良橋村、高木村、狭山村、清水村の6村で、高木村他五ヵ村組合村を構成していました。この組合村の村長が
・各村の合意を得ないで、いきなり各村を一つの村に合併する
・村の名前は、「村山村」とする
 という処置を関係機関に申請しました。実態はむしろ上部機関の強引な合併推進に組合村村長が巻き込まれたに近いと考えています。

高木村他五ヵ村組合

村山村

 これに対して各村は反対の意志を示し、阻止運動を続けます。前回からの続きです。

⑪郡参事会への陳情
 明治34年(1901)9月10日、高木村組合非合併陳情委員が「東京府北多摩郡高木村外五ヶ村組合存置事由書」を郡参事会へ提出しました。
 内容は前回紹介した撤回願に記載されたものとほぼ同じ事項が記されています。その部分は省略し最後の意思表示、結びを要約します。

高木村他五ヶ村組合存置事由所 クリックで大

『東大和市史資料編10』p48

要旨(現代語訳)
 最近、郡長が非合併者に向って云った
・町村制第四條三項に法律上の義務を負担するに堪えず又は公益上の必要あるきは         
・関係者の異議に拘らず、法律上、町村を合併することができると規定されている
・しかし、いかに行政官が專横を逞しても
・町村制第百十六條一項により組合を設置し共同処分するものには適用してはいけないことは云うまでもない
・だから、このことについて議論する余地はない
・以上の事由により組合村に連署して以て合村議案の撤回を請願したので、証拠書類を添え府参事會員諸君の参考に資し各村自治体の安全を企図するものです 
                    北多摩郡高木村組合非合併陳情委員
 となっています。高木村組合非合併陳情委員のメンバーは明らかではありません。
 
⑫うやむやな解決
 運動は2年間にわたって続けられました。この間に、次に紹介するように時には険悪な事態もありました。その過程で、いつ、どこで、どのような経過を経て撤回されたのか、はっきりしない中で、合併案は撤回されたようです。
 明治36年に蔵敷村の指導者が必要経費を義捐してくれた人々へ発した受領証の案分が残されていて、府下知名の諸氏が仲裁の結果であることがわかります。また、村人に対する危険な状況があったことも読み取れます。

合併騒動義捐金受領証 クリックで大

『東大和市史資料編10』p49

        
一金
 右は村権拡張費即ち
・明治三十四年三月以降、不法合村問題に付き、一村挙げて内務大臣其の他当該官へ陳情の為 上京諸費及び
・反対派(合併反対者に対する反対派)日夜暴行を逞するに因り、各村同志間相互の警戒に要する雑用、並びに
・村民繋獄(けいごく 牢屋に繋ぐ)免訴かつ釈放に至る経費の内
・随時、操換(くりかえ)御支弁のところ
 該問題は当組合村々治安に関する重大事件なるを以て昨年来、府下知名の諸氏に於いて、合併非合併双方に対し、仲裁の結果として、いまだ以て合村の時機に非ずと視認し、今回其の筋へ具状(ぐじょう 事情を詳しく書く)せらるたるに付き、貴下より前期の金額義捐相成りかたじけなく存じ候、依って本村を代表し、聊か御厚意に酬いたく、拙者共連署受領証を呈し候なり
                      東京府北多摩郡蔵敷村内野杢左衛門他8名
                                                            
 これを読むと、村人の行動に反対する一派が日夜暴行を加えたり、時には村民が牢に繋がれて、その免訴、釈放を求めたことがわかります。『東大和市史資料編10』では「険悪な雰囲気」として次のように記しています。

⑬険悪な雰囲気
 この合併問題にからむ騒動は、組合会や村会の外でも行われた。合併反対派の経過説明によると「村長ハ壮士ヲ使嘱シテ議員ヲ強迫シテ賛成ヲ求メ」たり、村長自身が「血ノ雨ヲ降ラセル」という暴言を吐いたりしている。ついには「壮士ハ人民ニ暴行ヲ為シ昼夜議員ノ住宅ヲ訪ヒ其ノ挙動甚ク不穏」な状態になってしまったというのである。反対派による一方的な経過説明ではあるが、これが事実であればとんでもないことが行われていたことになる。(p44)

⑭合併促進派の資料がない
 うやむやの内に解決された事件でした。残念なことに、当時の文書、合併促進派の資料が発見されていません。全て合併反対派の資料によります。片手落ちの嫌いがありますが、明治期の東大和市域の人びとが体験した騒動の中に、市制町村制のもつ問題点を伝えるものと思い紹介しました。

 (2019.10.10.記 文責・安島)

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