変電所跡 その一 変電所への電力供給
東京瓦斯電気工業(株)・日立航空機(株)立川工場の基本施設の一つが変電所でした。工場の近くまで高圧線で運ばれてきた高圧電流を工場内に配電して使えるようにする変電施設です。この変電所への電力はどのようにして供給されたのでしょうか?
かって工場があった裏門の地点付近、都立東大和南公園から高圧送電線の鉄塔が見えます。
鉄塔をあとに市民体育館の角から南に向かうと変電所の裏側に達します。
公園内から見える鉄塔の地点は工場創業時(昭和13年・1938)に変電所が送電を受けた分岐の地点と変わっていないとされます。しかし、果たして、現在見るような鉄塔があったのでしょうか?
社報125号ではこの配線について次のように解説されています。
「◎分岐点と専用高圧線
今の向原四丁目になるが、立派に整備し直されている。当時は、全く畑の中で、高い所沢線から、中背の当社向の專用高圧線に、太い線が、だらりとおりていたのみであった。
それから畑の中を横切り、社宅街の上を越して、市立2小の西側を通る位置は、今と同じであるが、スケッチのように、黒色の二本の木の柱を組んだ電柱に、今は、この辺にはない大きな皿型の碍子(垂直碍子)がつけてあった。規格は66キロボルト、即、二回線である。」
画像の通線の位置は現在の第二小学校の西側にあった「明和寮」「野球場」の付近です。この地を経て、工場裏まで同様な配線が行われていたと考えられます。
変電所の裏側にはこの高圧線からの受電設備が設けられ、変電所内に配電していました。残念ですが、現在、その施設はありません。
現在、変電所裏側にはモニュメントが設置されていますが当時のものとは関係がありません。
幸い、東大和市が防護壁とともに戦後の小松ゼノア時代に使われていた受電設備の画像を変電所西側に設置しています。当初のものと違いますが、雰囲気は伝わります。
初期建設時の画像があれば、説明版をモニュメントの近くに設置して欲しいです。