豊鹿島神社2(前庭・境内社・奥宮・要石)
境内には多くの末社(まっしゃ)、石造物がまつられています。このページではそのおおまかな案内をします。くわしくは関係するページをご覧下さい。
豊鹿島神社の歴史
豊鹿島神社の本殿
1前庭左側
前庭東側には本殿の説明、かって盛んに舞われ、現在は保存されている獅子舞の獅子頭、本殿前の狛犬、神社の由緒など説明板が並んでいます。
2前庭右側
本社殿向かって右側に位置する手洗舎(平成5年・1993)と神輿舎 毎年9月15日の例大祭に扉が開かれ、神輿が芋窪区域内をまわります。
3本社殿と末社、石造物
本社殿の左右にまつられる末社・石造物のあらまし。次の各画像にそれぞれの位置を記します。
4本社殿右側の末社、石造物
正保4年(1647)日待灯籠は江戸初期に奉納され「豊鹿島大神宮」と彫られています。階段下に、尾又氏の碑、末社3社、階段上に末社3社、九頭大神碑がまつられています。この画像からは見られませんが、稲荷社と産泰社の後ろ側に御嶽山蔵王大権現碑がまつられています。 詳細は下のページに記します。
豊鹿島神社の境内社(3愛宕神社 白山神社 滝沢明神社)
豊鹿島神社の境内社(4稲荷社 産泰社 御嶽神社)
豊鹿島神社の境内社(5紅葉稲荷社)
豊鹿島神社の石灯籠(正保4年の日待灯籠)
5本社殿左側の末社と石灯籠
日吉神社と元禄15年(1702)の石灯籠がまつられています。
石灯籠には「武州多摩郡上奈良橋郷 井窪庄」と中世の地名が彫られています。細部については下のページに記します。
豊鹿島神社境内社(2) 日吉神社
豊鹿島神社の石灯籠(元禄15年石灯籠)
6奥宮(おくのみや)と要石(かなめいし)
豊鹿島神社は本社殿の北側に「奧宮」(奧の宮)のいわれを持ち、遙か南の芋窪街道沿いに「要石」があります。
①奥宮(奥の宮)跡
豊鹿島神社本社殿から北側の林を抜けると、峰の頂に出ます。周辺は旧石器時代から縄文時代にかけての遺跡・鹿島台遺跡です。なだらかな道を辿ると奥宮跡に出ます。
豊鹿島神社と関わりのある宮があったと伝えられます。周辺は旧石器時代から縄文時代に至る生活の跡(鹿島台遺)が残ります。
村山貯水池に沈んだ石川の里からも南麓の里からも望まれ、鹿島台と呼ばれます。地質的には貴重な多摩ロームの堆積地です。
②要石(かなめいし)
豊鹿島神社から青梅街道を経て芋窪街道を約400メートルほど南に進むと蓮花寺があります。その南隣のこんもりとした森に豊鹿島神社の要石(かなめいし)がまつられます。
芋窪街道沿いに鳥居があり、その奥に要石(かなめいし)があります。
要石には
・いつまで掘っても底に達しられない
・石のかたわらを掘って、出てきた虫の数によって、授かる子供の有無や数を占う
・大古の昔、このあたりが海だったころ、建御雷命(たけみかずちのみこと)が東国に降った折に、船をつないだ石
などの言い伝えがあります。内容は、それぞれ下に記したページに書きました、お楽しみください。
要石の言い伝え
江戸時代の要石
よもやま話の要石
豊鹿島神社の歴史に続けます。
(2016.11.25.記を2019.12.03.一部を書き換え 文責・安島喜一)