雲性寺・大乘妙典六十六部廻国供養塔(安永6年・1777)

雲性寺・大乘妙典六十六部廻国供養塔(安永6年・1777)

雲性寺の前庭左側に
大乗妙典六十六部廻国供養塔がまつられています。
4体の石造物の一番右手前です。

雲性寺前庭石造物 クリックで大

正面

東大和市内にまつられた六十六部供養塔の中で
文字などの彫りが最も明確に見られます。

雲性寺
大乗妙典六十六部廻国供養塔 クリックで大

  天下泰平 安永六酉天 武州多摩郡
              奈良橋村
             養
奉納大乘妙典六十六部廻国供
             塔
             願主
  国土安全 正月吉祥日  本田五良兵衛

高さ77㌢ 巾32㌢
安永6年(1777)

六十六部が天下太平 国土安全を掲げて廻国する場合、
「村中」や「援助者」の代表などが願主になっていることが多いです。
その中で、本田五良兵衛氏個人が願主になっていることに注目しています。

右側面

文字などの刻みはありません クリックで大

左側面

文字などの刻みはありません クリックで大

旧所在地

 なぜ、雲性寺のこの地にあるのか不明です。
 高さ77㌢ 巾32㌢と
 市内の他の供養塔に比して小型ですが、
 願主が個人であることに留意し、調査を続けています。

建立された安永6年(1777)という時代

1774(安永3)年
・1月19日、代官所から、虚無僧の格好で
 村を俳徊し百姓に施しなどを強要することを禁じる通知が届く。
・10月28日、幕府、浪人・旅僧・修験者などの取り締まりを定める。
・11月10日、空き地や新開発可能な土地について調査指令。

1775(安永4)年
・狭山丘陵で大がかりな猪狩りが行われる。
・範囲は丘陵南麓の久米川村から瑞穂町まで狭山丘陵南麓全体。
・5月13日、猪や鹿狩りのため鉄砲拝借願いを出す。
・8月、廻り田村にあった鷹場の鳥見陣屋を久米川村へ移転する。
・12月16日、来年4月、将軍が日光社参に当たっての人馬を準備せよとの通知。

1776(安永5)年
・6月、中藤村にあった幕府の御林の切払願いを出す。
・青梅橋道しるべ庚申塔が造立される。
 東 江戸 南八王子 西おうめ 北山くち
・7月22日、代官所から、新しく開発した土地に菜種(なたね)、蕎麦(そば)などを植えた場合はその面積などを報告せよとの通知あり。

1777(安永6)年
・正月、代官伊那半左衛門から、
 悪党追捕のため部下を巡回させるから心得よとの回状が届く。
 安永3年からこの種の回状が届くことから
 周辺一帯に悪党やその種の活動があったことを窺わせる。
・正月吉日、雲性寺 六十六部廻国供養塔が造立される。
・4月吉日、芋窪村・慶性院 地蔵尊が造立される。
・9月10日、幕府、百姓の徒党・強訴を禁じる。
・9月10日、幕府、米価高騰のため囲米停止令を出す。

安永3年10月代官所からの通知(控)『里正日誌』2p195 クリックで大

このように、
・交通が盛んになるとともに
 幕府による無宿者の通行の規制が強まる。
・狭山丘陵周辺では猪や鹿の被害が高まり駆除が行われる。
・燃料不足か、幕府所有の御林から雑木を整理して
 払い下げの願いが出される。
・米価が高騰する。
・幕府は新開地の開発を促進するとともに
・新たな年貢対象地を探す。
・新開発地に菜種や蕎麦を植えた場合の報告を求める。
 農民の食糧確保と年貢対策
・百姓一揆の動きが起こり、悪党の活動がみられ
・幕府は取り締まりを厳しくする。

 など、時代が緊迫する中で、村では、
 地蔵尊や六十六部供養塔などの造立が行われています。
 本田五良兵衛氏はこのような中を旅立ち、帰村して碑を造立しました。
 この碑には、様々な思いや物語が籠って居るようです。
 是非、聞き出したいです。

 (2021.10.14.記 文責・安島喜一)

 六十六部供養塔について123 

 石造物