円乗院6 本堂

円乗院6 本堂

鐘楼門からの参道を直進すると本堂への石段があります。

本堂への参道 クリックで大

本堂正面 
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本堂にはこの寺の歴史を語る多くの仏様が居られます。
現在は不動尊を本尊としますが、当初は薬師如来で、寺伝によれば次のような経過を経て現在に到りました。
・古くは延寿院と呼び、現在の二つ池付近にあって、薬師如来を御本尊とし、医王寺と称した。一世賢誉法印(平治元年(1159)2月8日)没の墓碑がある。
・慶長12年(1607)8月18日、風災によって坊舎が吹き潰されたため、現在地に移転、堂宇を再建した。

本堂全景(左側面から)
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・その場所に古くから鎮座する愛宕大権現を寺の地主神として、山号を愛宕山、院号を円乗院とした。(明治の神仏分離政策により、狭山神社に合祀)
・第二十世慶範法印(元禄17・1704年3月1日示寂)の代に、紀州(和歌山県)の根来山大伝法院に安置の錐鑚(きりもみ)不動尊像を写して本尊とした。
・寛政5年(1793)2月本堂並庫裡再建。
・第三十三世法印宥祥(天保2年(1831)2月3日示寂)の代に、本堂庫裡を再建。
・明治18年(1885)12月、火災により本堂・庫裡・古記録を焼失。
・昭和23年(1948)12月、本堂再建、庫裡・鐘楼門を改修。
・昭和54年(1979)本堂を再建、現在に至る。

慶長12年(1607)、風災によって坊舎が吹き潰され、現在地に移転、鎮座する愛宕大権現を寺の地主神として、山号を愛宕山としました。
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2024年1月1日、住職の許可を得て撮影
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なお、本堂にまつられている古記録による仏様は次の通りです。

新編武藏風土記稿
本尊木の坐像二尺五寸許、又薬師の像八寸許なるを安置す、恵心の作成るよしをいへど、秘してみることをゆるさずと云、

武蔵名勝図絵
本尊薬師如来 中古不動尊を以て本尊とす。この薬師は厨子入、堂内に安置す。木立像、八寸許、恵心僧都作。

狭山之栞
本尊薬師如來の本体五寸余、厨子高二尺余。座像にて寶月智嚴音自在如來にて恵心僧都の作。外に日光佛月光佛十二將神を安置す。 廿世慶範法印の時、南紀根來山錐鎖不動を模し本尊とす。空殿高五尺余尊躯長二尺五寸両童子各一尺五寸也。

信仰のすがたと造形(資料編8p183~184 画像あり)

木造衿羯羅(こんがら)・制多迦(せいたか)童子像
(本尊不動明王像の脇侍で三尊形式をとる)

木造弘法大師坐像
坐高は約五〇㌢ほどで、寄木造りと思われる木造、江戸時代の作と推定される

木造地蔵菩薩坐像
もと高木にあった地蔵堂の本尊で、地蔵堂の廃滅に際し、管理・保存のため当寺に移されたと伝えられる。

木造五大明王像
瑟々座(しつしつざ)に趺坐する不動明王像を中央にして、その向かって右に軍茶利(ぐんだり)明王、降三世(ごうざんぜ)明王、左に金剛夜叉(こんごうやしゃ)明王、大威徳(だいいとく)明王の各像を横一列に安置する。像高はそれぞれ四、五〇㌢ほど

木造大日如来坐像
座高四〇㌢ほどの智拳印をむすぶ金剛界大日如来像

木造大黒天像
厨子におさめられた一木造りと思われる小像で、袋を荷ない小槌を持って俵の上に立つ。

本堂の左右に興教大師像と延命子育て地蔵尊像がまつられています
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真言宗中興の祖 興教大師像 
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興教大師像 クリックで大

 

台座の裏に「興教大師像に寄せて」として興教大師様を紹介し、
平成4年(1992)、上人の850年御遠忌に当たり、当山檀徒の方が上人の尊像を造顕し以て報恩謝徳の誠を尽すと刻まれています。

 

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延命子育地蔵尊
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本堂左側に愛宕山地蔵講の結成、水子供養のための千体地蔵尊がまつられています。

本堂左側に続く
(2018.04.12.記)

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