千葉卓三郎が奈良橋村に滞在

五日市憲法草案の作成にあたった千葉卓三郎が奈良橋村(現・東大和市)に滞在していました。
深沢村(現・あきる野市五日市)の観能学校の教師であり、「五日市憲法」の草案つくりの最終段階にありました。
明治14年(1881)、奈良橋村から五日市の深沢権八宛に出した三通の葉書が残されています。

当時の奈良橋村の鎌田家に滞在して、
①明治14年5月15日、自分が不在であっても観応学校の授業を進めてほしい。
②7月13日、集会条例などにより公務員の自由な言論が制約されているとの現状批判
③9月15日(推定)狭山円乗院で行われる自由懇親会への深沢の臨席依頼。
の3通です。


(千葉卓三郎が滞在した鎌田家)

この間に、植木枝盛が活躍していた土佐を訪問したとの説もあります。
多摩の自由民権運動は盛り上がります。
ところが、同年10月12日、政府が国会開設を約束する詔勅を急遽発しました。
全く残念でしたが、五日市の若者と卓三郎は、情熱を籠めて創り上げた草案を空しく深沢家の蔵に収めます。
それらのことを学びませんか!!

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受付は、まだ、間に合うそうです。(2017.05.21.記)

 このページは同名で書き改めました。千葉卓三郎が奈良橋村に滞在(東大和市)

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