円乗院 4 中庭左側1
円乗院 4 中庭左側1
円乘院の本堂から左・西側に当たる地域です。手水舎の近くには池があり、狭山丘陵の峰からの斜面には、江戸時代初期の五輪塔、市内では珍しい聖徳太子座像、弘法大師、聖観音菩薩、大僧正小峰正存像などがまつられています。
西側門から入ってすぐ右側の杉の木のもとに五輪塔がまつられています。下部は埋設されていて、上部が見られます。
寛文13年(1673)江戸時代初期の五輪塔です。
頭頂部(空、風、火部分)が現れていて、下部(水、地部分)は埋まっています。地部分には、「寛文十三年(1673)丑八月二十七日 為浄秋卉也」と彫られています。総高126㌢ 他の地域より移したものと伝えられます。この時代、狭山丘陵の麓に生活の基盤を置いていた村人達は、1655年に開削された野火止用水に向かって武蔵野の原野を畑にするため懸命に開墾をしていた頃でした。どのような目的で、どこにまつられたのか知りたいところです。
五輪塔残欠部分
円乗院中庭にはもう一つの五輪塔残欠部分があります。鐘楼門をくぐって間もなく右側の垣根の陰にまつられています。年代などは不明です。
池の畔を伝わって丘陵の斜面に登ると聖徳太子像、弘法大師像、聖観音像、祖恩報謝塔、大僧正小峰正存像などがあります。
その池の前に、大きな転法輪碑があります。
昭和54年(1879)5月12日、本堂竣工を記念して建立されました。
裏面には円乗院の略歴と鐘楼門、庫裏、本堂の建設された経過が彫られています。内容が濃く長文ですので別に記します。
転法輪碑を過ぎると円乗院に保存されている板碑の説明板があります。
円乗院には、徳治2年(1307)銘から天文11年(1542)銘に到る8枚と年号不明のもの1枚の計9枚が保存されています。
それぞれ特徴があり天文11年(1542)銘の板碑は東大和市域内で最後に建立されたものです。
ここから石段を登り本堂に向かいますが、その左側の斜面に聖徳太子像、弘法大師像、聖観音像、祖恩報謝塔、小峰正存像などがあります。
斜面の中央部にやや大きめの石に囲まれて聖徳太子像は座しておられます。
制作年代は不詳ですが、江戸時代の制作と考えられています。
東大和市内で唯一の石像です。右膝を立て両手のそれぞれに何かを持っていたことが推定されます。他の太子像の例から物差しを持っていたと考えられています。
衣には朱で彩色した跡が見られます。蔵敷の太子堂に鋳造像が安置してあります。大工さんなどの建築関係の方々の信仰があり、講が形成されていました。 円乗院の太子像もそのような背景が考えられます。
聖徳太子像の付近には弘法太子像、観音像、小峰正存像、謝恩報謝塔などがあります。
丘陵の峰からの斜面に立つ諸像については円乗院 5 中庭左側2として次に続けます。
(2018.04.08.記)
広大な寺域には様々な文化財があります。文字をクリックすると記事になります。