小学校の制限外授業料の徴収
小学校の制限外授業料の徴収
昭和5年(1930)世界恐慌は日本にも押し寄せました。それは都市・農村を問わず、深刻な影響をもたらせました。都市には失業者があふれ、農村には農産物価格暴落による疲弊が、人身売買を生むまでになったとされます。
当時の大和村も例外でなく、さらに、貯水池建設に伴う耕地の減少(三分の一)は厳しく、貯水池の一時的ブームが去った後のピンチがこの時期に一度に重なりました。
その中で、大きな問題となったのが教育費の確保でした。昭和元年から9年の間の村予算の中で占める教育費の割合は次の通りです。
絶えず50%以上を占めて、村の財政を圧迫していました。
ここで起こったのが、授業料徴収問題です。当時の小学校(市町村立)は、原則として授業料は無料で、政令で徴収することを禁じられていました。ところが、昭和5年、大和村では、村の財政だけでは学校運営ができなくて、授業料を徴収することにしました。東京府にその旨を申し立てますが、府からは徴収してはいけない旨を通知してきました。
これに対し、大和村では村議会の議決を経て、下記文書のように、授業料を徴収しなければ、不完全な教育設備が完成できないから、特例をもって制限外授業料の徴収を認めるように、更に認可願いを出しています。(一部意訳します)
昭和五年三月七日
東京府知事宛 大和村村長関田安衛門
「本村尋常小学校並びに高等小学校において、制限外授業料を徴収致したく、村会の議決を得ました。
特別の御詮議をもって御認可頂きたく、事情を記して、特段にお願い致します。
左記
一、制限外授業料徴収の目的 小学校内の諸設備完成に伴う歳入の不足を補うため
一、授業料額 尋常科 一人 一ヶ月 金二十銭
高等科 一人 一ヶ月 金六十銭
一、徴収期間 昭和五年四月より昭和六年三月まで
制限外授業料の徴収を必要とする事情
本村は、昭和五年度予算において、東京府よりの訓令と一般経済界の不況により、歳出に極力緊縮を加えました。それにもかかわらず、小学校費は、なお、前年度より増加し、別紙予算書の通りの状態です。これに対し、歳入には、村税は殆ど制限の極度に達しこの上の増徴は望めません。しかも、他に財源がありません。やむを得ず前年度の如く授業料を徴収して、不十分な教育設備の完成をはかり、歳入の不足を補うものです。」
この要請はどうにか認められたようで、特別に徴収をしたとされます。村人の負担はさぞ大きかったことと推察され、江戸時代以降続く、ふるさとの厳しい状況に身が堅くなります。ついに昭和8年(1933)10月1日、東京府知事により農村経済更生指定村に指定されました。農村救済の様相を帯び、部落あげての生活の合理化が指導されます。次ぎに続けます。
(2019.07.05.記)文責・安島喜一