2先史(東大和市の歴史・略年譜)
2万年前~1万年前です。東大和市域に、人が活動し始めました。
・旧石器人です。
・時々、富士山の噴火の灰が降っている頃です。
旧石器時代人が使った石器 街道内遺跡(高木)
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旧石器時代遺跡位置図
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・この時代の遺跡は上の図のように残ります。
・狭山丘陵と武蔵野台地、奈良橋川と空堀川のほとりです。
◎ところが、当時の様子を追って行くと
・狭山丘陵の南に一面広がる武蔵野の原野の中には
・もう一本、別の川が流れていたようです。
川の姿を残しませんが、上北台公民館の付近から東大和病院付近を通り、東大和市駅東側を流れていました。
◎よく調べると、遺跡はこの流れの周辺に眠っている可能性があります。
・まだまだ、面白い発見があるかも知れません。
・1万年前~2300年前(3000年前説あり)縄文時代
旧石器人の後に、縄文人が来ました。
・狭山丘陵の見晴らしの良いところに家を構えて
・土器と石器を使い分け、丘陵や原で狩りをし
・植物の根を掘り、実を採集して生活しました。
・植物の根を掘り、実を採集して生活しました。
・中期には狭山丘陵の峰々は縄文銀座と云われるくらい賑わいました。
縄文時代中期の土器 諏訪山遺跡(奈良橋)
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縄文時代中期の石器 諏訪山遺跡(奈良橋)
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・ところが、縄文時代晩期になると、僅かに土器のかけらが見つかっていますが
・人の定着した跡が発見されていません。
・気候が冷涼となり、人口が減少し、移転したことが考えられます。
・東村山市にこの時代の人々が定着した貴重な「下宅部遺跡」が残されています。
・2300年前(3000年前説あり)弥生時代
縄文時代の人が去った後、弥生人が来ます。
・米作りが始まり、集団で村を作ります。
・ところが、東大和市域内では遺跡は見つかっていません。
・近くでは、所沢市で、大きな集落(東上・あずまのうえ遺跡)をつくっています。
・この人々は柳瀬川を遡ってきたことが推定されます。
◎とすれば、その上流は村山貯水池の湖底に沈んだ地域です。
・ここに、弥生人が生活したことも考えられます。
◎見つける事が出来ないのが残念ですね!!
縄文晩期、弥生時代遺跡位置図(東村山市、所沢市)
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(2021.05.12.文責・安島喜一)