雲性寺 庚申塔(東大和市奈良橋庚申塚)
雲性寺 庚申塔(東大和市奈良橋庚申塚)
雲性寺前庭に享保十六年(1731)造立の庚申塔がまつられています。
江戸街道(現・新青梅街道)庚申塚に造立され、昭和40年代前半(1965~1969)に道路拡張のためここにうつされました。
正面
蓋と二段の台石を付けた方柱塔身
高さ126㌢、幅39㌢、奥行き25.6㌢
六臂青面金剛像(ろっぴしょうめんこんごう)、
その上方に種字〈ウーン〉(金剛夜叉明王、愛染明王などに共通)
左右に瑞雲付日・月
足の下に、邪鬼(じゃき)
その下に、三猿(さんえん)
邪鬼、三猿の拡大
右側面
武州多摩郡村山郷奈良橋村 施主講中
享保十六年(1731)代には「村山郷」を名乗っていることがわかります。
左側面
大分読み取れなくなってきていますが、これまでの記録では
享保十六辛亥(かのとい)霜月(しもつき)吉祥日
願主 法印伝翁
と解読しています。
台石の正面
中央縦に「東 江戸道」と刻まれています。
現在では、ほとんど見えませんが、昭和45(1970)年調査により、記録されています。
右側面 北 くわんをん道(山口観音)
左側面「南・府中道 西右・中藤 左・青梅」
と刻まれ、道標を兼ねていたことがわかります。
道しるべについては「奈良橋庚申塚の道しるべ」にまとめます。
江戸街道庚申塚の位置
江戸街道庚申塚の現況は下画像の通りです。
かって、道路(現青梅街道)拡張前は画像の馬頭観音、庚申塔の箇所に塚が設けられていました。
この位置は感覚的に、市の南北を分けるところから、昭和20年代には、小学校が本村に一つだけであったため
本村と南街の小学校の子どもたちはいざこざがあると、その解決にこの塚の上で話し合いました。筆者もその一人です。
また、夕焼けに浮かぶ頃には、奏者の知れぬ尺八の音が遠く届きました。
本村と庚申塚との関係
江戸初期、現新青梅街道は江戸街道と呼ばれ、青梅成木から江戸への石灰運搬の基本道でした。
また、八王子、府中方面への交差部で府中道、八王子道の道筋が交差していました。
庚申塔は奈良橋庚申塚の上にまつられ、馬頭観音と共に、交通の安全を願い、一方では、
農間稼ぎの為の江戸市中への主要道で、馬と共に多くの人々が行き交ったと伝えられます。
塞ノ神碑のなかったこの地域では、
病や好ましくないことの村への侵入防止、監視、送り出しの場として貴重な拠点でした。
(2023.07.17.記 文責・安島喜一)