2018年2月18日 / 最終更新日時 : 2021年4月19日 musashinoaj 1大まかな歴史の流れ 大まかな歴史の流れ 5 近世 4 荒れる村 1踏んだり蹴ったりお犬様 狭山丘陵周辺の生類憐れみの令 延宝8年(1680)8月、五代将軍に綱吉が就任します。武蔵野開発に力を入れた三代将軍家光の四男です。放漫になりかけていた幕制改革に着手しました。一方で、生類憐れみの […] 共有:Tweet
2018年2月12日 / 最終更新日時 : 2020年10月2日 musashinoaj 1大まかな歴史の流れ 大まかな歴史の流れ 5 近世 3生産性の低い新田 農間稼ぎ 1 空堀川までが日常生活圏 早くに済ませた新田開発 一般的に大々的な武蔵野の新田開発は享保7年(1722)、江戸日本橋高札場に掲げられた武蔵野新田開発奨励のお触れ以降急速に進んだとされます。 しかし、東大和 […] 共有:Tweet
2018年2月6日 / 最終更新日時 : 2024年3月5日 musashinoaj 1大まかな歴史の流れ 大まかな歴史の流れ 5 近世 2 玉川上水・野火止用水の開削、細長い村 1玉川上水・野火止用水の開削 江戸市中の整備・家臣団の集住 江戸市中の整備が進むにつれ家臣団が江戸に集住するようになりました。 ・元和2(161)駿府詰めの家臣団が江戸に移住、神田台を開拓、駿河台と称しました。 ・寛永 […] 共有:Tweet
2018年2月3日 / 最終更新日時 : 2023年7月19日 musashinoaj 1大まかな歴史の流れ 大まかな歴史の流れ 5 近世 1江戸時代初期 1徳川家康の家臣がやって来た 八王子城の落城 天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原城攻撃により、戦国大名の後北条氏は滅びます。東大和市の周辺では、6月23日、八王子城が前田利家、上杉景勝の攻撃により落城しました。家臣 […] 共有:Tweet
2017年12月5日 / 最終更新日時 : 2020年9月14日 musashinoaj 7近世 玉川上水への通船1 江戸時代 明治の3年(1870)から5年(1872)までのわずかな期間でしたが、玉川上水に船を浮かべ物資の運搬が行われました。玉川上水は東大和市のすぐ近くにありながら、直接には接していません。しかし、 ・野火止用水の取り入れ口に […] 共有:Tweet
2017年8月25日 / 最終更新日時 : 2023年6月19日 musashinoaj 7近世 細長い村ができた 玉川上水・野火止用水の開削 承応3年(1654)玉川上水が開削され、次いで、翌承応4年(1655)野火止用水が開削されました。茫漠たる武蔵野の原野に一路の水路が通りました。これを待ち受けていたように、翌年の明暦2年(1 […] 共有:Tweet
2017年7月24日 / 最終更新日時 : 2020年10月20日 musashinoaj 7近世 駄賃稼ぎ(だちんかせぎ) 馬の背に薪や炭を載せて、江戸のごひいき様まで届けてお金をもらう。 「決して商売ではありません。運び賃、駄賃です」 と云って稼いだのが「駄賃稼ぎ」です。 帰りには仕入れた肥料の下に、チャッカリ江戸みやげもあったそう […] 共有:Tweet
2017年7月15日 / 最終更新日時 : 2020年9月14日 musashinoaj 7近世 おんじー!? 東大和市の現・狭山地域が後ヶ谷村(うしろがやむら)と呼ばれていた江戸時代の話です。 地元の杉本家に伝わる貴重な古文書に宗門帳があり、当時の家族構成がわかります。 寛政6年までは中核となる家族構成は4人から6 […] 共有:Tweet
2017年7月14日 / 最終更新日時 : 2020年9月14日 musashinoaj 7近世 飢饉で子どもが産めなかった 文政年間(1818~1829)の村(蔵敷村)の姿 子どもが生まれなくて、村は維持できたのか? ずっと疑問に思っていたのが左の表です。 江戸時代の村の人口の増減と自然条件の関係はどのような実態だったのか? そ […] 共有:Tweet
2017年7月13日 / 最終更新日時 : 2020年9月14日 musashinoaj 7近世 江戸時代の村の人口(蔵敷村) 江戸時代、村の人口はどのように推移したのでしょうか? 東大和市を構成していた村の一つに「蔵敷村」(ぞうしきむら)があります。 狭山丘陵に刻まれた谷ッに本拠を構え、その南に広がる武蔵野の原を新田開発した村です。 […] 共有:Tweet