2017年7月16日 / 最終更新日時 : 2024年3月10日 musashinoaj 東大和の歴史 地頭の乱行と箱訴 「泣く子も黙る地頭」の言葉は、江戸末期の多摩郡でも生きていました。 東大和市では清水村が渦中にあり、その概要が記録に残されています。 明治維新の50年前、この時代の地頭支配の状況が垣間見えますので紹介します。 文政2 […] 共有:Tweet
2017年7月15日 / 最終更新日時 : 2020年9月14日 musashinoaj 7近世 おんじー!? 東大和市の現・狭山地域が後ヶ谷村(うしろがやむら)と呼ばれていた江戸時代の話です。 地元の杉本家に伝わる貴重な古文書に宗門帳があり、当時の家族構成がわかります。 寛政6年までは中核となる家族構成は4人から6 […] 共有:Tweet
2017年7月14日 / 最終更新日時 : 2020年9月14日 musashinoaj 7近世 飢饉で子どもが産めなかった 文政年間(1818~1829)の村(蔵敷村)の姿 子どもが生まれなくて、村は維持できたのか? ずっと疑問に思っていたのが左の表です。 江戸時代の村の人口の増減と自然条件の関係はどのような実態だったのか? そ […] 共有:Tweet
2017年7月13日 / 最終更新日時 : 2020年9月14日 musashinoaj 7近世 江戸時代の村の人口(蔵敷村) 江戸時代、村の人口はどのように推移したのでしょうか? 東大和市を構成していた村の一つに「蔵敷村」(ぞうしきむら)があります。 狭山丘陵に刻まれた谷ッに本拠を構え、その南に広がる武蔵野の原を新田開発した村です。 […] 共有:Tweet
2017年7月12日 / 最終更新日時 : 2023年8月31日 musashinoaj よもやま話 山うなぎの蒲焼きとステッキ 栄公園(さかえこうえん 東大和市南街五丁目)の一隅に奇妙なモニュメントが置かれています。 ほとんどの人が、 「これは何じゃ?」 「コウモリ傘の柄か?」 と小首をかしげます。 ところが、深い背景があり、この地に軍需工場が盛 […] 共有:Tweet
2017年7月11日 / 最終更新日時 : 2020年9月14日 musashinoaj よもやま話 欅のめざまし 東大和市の「市の木」は欅です。狭山丘陵周辺では農家には、家の周囲のどこかに欅が植えられていました。 青梅街道や志木街道のように街道筋に植えられた欅は素晴らしい景観ととともに道行く人を守り集落を守りました。防風林の役割もあ […] 共有:Tweet
2017年7月10日 / 最終更新日時 : 2020年9月14日 musashinoaj 3地質 東大和市は海の中にあった こうお話しても、「へー・・・」と疑いの視線が帰ってきます。 子供達はたいてい「ウソだ―」「証拠見せてよ」と迫ってきます。 でも、東大和市の歴史に関する説明はそこから始まります。 左は『東大和市史資料編2多摩湖の原 […] 共有:Tweet
2017年7月9日 / 最終更新日時 : 2021年6月2日 musashinoaj モニュメント 木綿絣(もめんがすり) 子ども達を案内すると、たいてい 「空から降ってきたお星さんだ」 「そうじゃないよ、おにぎりだよ」 「どうして、ひっくり返っているの?」 と賑やかです。 近寄ってみるとゴツゴツしていて、確かに宇宙の摩擦をすり抜けてきた天体 […] 共有:Tweet