欅のめざまし
東大和市の「市の木」は欅です。狭山丘陵周辺では農家には、家の周囲のどこかに欅が植えられていました。
青梅街道や志木街道のように街道筋に植えられた欅は素晴らしい景観ととともに道行く人を守り集落を守りました。防風林の役割もあり、落ち葉が肥料となり、成木は家の建築材になりました。
市内の町名の一つ「高木」は、遠く、現在の小平市(青梅街道)方面から背の高い欅が見えたところから付いたとされます。
現在は落ち葉の被害などから、市の保存指定樹木として指定されたもの以外は、多くが切られてしまいました。その中で、残る話の一つが「欅のめざまし」です。
「昔、高木村にはその名のとおり、けやきの大木がうっそうと茂っておりました。そして、ある旧家の庭にも、直径七尺(二・二メートル)もあるような大けやきが何本もありました。
それは毎年夏のことです。
早朝、東の空が白むころ、不思議な音が聞えてきました。
“ザーッザーッ、ザーッザーッ”朝の静けさをぬうようにかすかに聞えてきます。それは、けやきが水を吸いあげる音だというのです。明るくなると音は止みますが、天気の良い日は毎朝きこえました。
すると、お姑さんは「それ、けやきがうなり出したよ」と言ってお嫁さんを起こします。午前四時、空にはまだ星がまたたいていました。ぐっすり寝入っていたお嫁さんは、眼い目をこすりこすり起き出しますと、かまどに火を焚きつけて朝食の支度にかかります。忙がしい農家の朝は夏いちだんと早く、夜明けとともに始まるのです。
時計などめったになかった頃のことですから、けやきの音がめざましになっていました。けやきの大木は、その後戦争中に切り出されて船材(ふなざい)として供出されました。」(東大和のよもやま話p149~150)