昭和13年(1938)のことです。狭山丘陵の南麓に旧来からの集落が営まれ、南はすべて畑でした。人家は一軒もなく、冬の夜など漆黒の原野が広まっていました。そこに、東京ガス電気工業(株)が進出して昼夜にわたる突貫工事が進められていました。その時のよもやま話です。

現在も大木に囲まれる三光院(クリックで大)

「昭和のはじめごろはまだ、三光院の西側の辺りは小高い山になっていました。ならやくぬぎが生い茂る中に一本、ろうそく形の杉の木がひときわ高く、にょっきりとそびえ立っていました。一里(四キロメートル)四方どこからでもよく見えて、人々は「清水の大杉」とよんで方角を知る目じるしにしていました。

秋も深まった十一月のある夜、清水に住む五十なかばの男の人が、村の寄合いが終って家に帰ろうと、十二時ごろこのあたりを通りかかりました。その時、風もないのに持っていたちょうちんの灯がふうっと消えて、月あかりの中にぼんやりと大杉の傍に立っている若い女が目に入りました。「はて、見なれない娘だが……。こんな時間にどうしたことか。」

と不審に思いながらふり返った時、もうそこには娘の姿はありませんでした。

昭和13年(1938)の大和村縮図 空堀川から南は一面に桑畑の表示になっている(クリックで大)

 そのうちまるで洪水でもあったように、足首のあたりまでどっぷりと水につかって、氷りつくような冷たさです。ほんの一足の所にあるはずの家になかなかたどりつきません。気がつくと、なんと空堀川の中を遡って歩いているではありませんか。これはどうしたことかと、とにかく川の中から這上り、遠くに見えた明りを目ざして夢中で歩きました。

漸く着いた所が、昼夜兼行で突貫工事を進めていた南街の大工場の建設現場でした。本人は一体ここがどこなのかまったくわからず、狐につままれたとはこの事かと目をこすりました。

さんざん歩きまわって、もう午前三時を過ぎていました。まっくらでは馴染の大杉も見えず、清水の方角は皆目見当もつきません。工事人の指さす方へと、半分もうろうとしたまま疲れた足をひきずり、やっとの事で清水の部落につきました。けれど自分の家がどうしてもわかりません。思い余ってよその家の戸をたたいて自分の家を教えてもらい、やっと我が家に落ついて正気に戻りました。

「あの娘っこが狐だったんだべ」   (東大和のよもやまばなし p176~177 )

主人公が凍り付くような中を歩いた空堀川 2003年の姿
 昭和13年(1938)頃は川の両岸は素掘りで土のままでした。(クリックで大)

 村人は随分と歩きました。へとへとだったことでしょう。その村人と突貫工事と娘っこ姿の狐の対比が何ともユーモラスです。間もなく、工場は出来上がり、戦争中には陸海軍用の飛行機のエンジンを制作しました。昭和20年(1945)には爆撃を受け全滅状況になりました。その中を奇跡的に残ったのが「変電所」です。

現在の変電所跡

 このよもやま話は昭和13年(1938)を起点に始まった「本村と南街」と云う、次の時代を告げる舞台の一コマでした。
 (2017.06.23.記)79
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