くずっぱ
くずっぱ
5月、新緑に溢れる狭山丘陵です。
12月になると、すっかり紅葉が進み、雑木林は一面に落ち葉が敷き詰められます。
小径をかさこそとひそかな音をたてて歩み、幸せなひとときに浸ります。
この落ち葉を、東大和の先人は「くずっぱ」と呼び、代えがたい生活の糧としていました。『東大和のよもやまはなし』は語ります。
「貯水池の周囲の山には、くぬぎ、なら、松などの大木が亭々としていて、秋になると大量の落葉が地面を埋めつくします。
現在では公の土地になっていて、みだりに用地内に入る事は禁じられていますが、貯水池が出来る前までは個人持の山でした。地元の人達は十二月から三月にかけて、それぞれ自家の山へ”くずっぱ”(落葉)を掃きに行ったものでした。
山のくずっぱは土質の関係で葉に厚みがあって質がよく、肥料としても燃料としても、砂川や南街辺りのものとは格段の違いがありました。殊に落ちて間がない葉はあくが強いのでいい肥料になりました。雨や雪にたたかれているうちに葉に含まれている養分が土中に逃げてしまうので、十二月のうちに出来るだけ多く集めたものでした。
落葉をなめたようにきれいに掃いて集め、八本骨の大きな籠(かご)に爪も立たないほどぎゅうぎゅうと、つめるだけつめると百キログラムから百二十キログラムの重さになりました。
持帰った落葉の大半は、農業に欠かせない堆肥(たいひ)に使われました。下肥(しもごい)をかけて自然に腐らせるのですが、そのほか豚小屋に敷きつめておき、豚が糞(ふん)と一緒にこねて踏みつけるのを利用する即成の方法もありました。また、冬の間はいろりでくずっぱを燃して暖をとったものでした。中でも松葉は油分が多く火もちもよかったのですが、所詮は木の葉ですから四六時中つきっきりでくべていなければなりませんでした。
当時この辺りでは、さつまいもをたくさん栽培して売りに行ったり、自家用としても主食といっていいほど、よく食べたものです。一度に一俵(五十キログラム)ぐらいづつ大釜で茄(ゆ)でるのですが、燃料はくずっぱと乾燥した下草(したくさ)でした。いろりやかまどの灰は絶好の肥料になるので、一石二鳥をねらったのでしよう。
そのほか、三十センチの厚みに踏みこんだ落葉に、ほろほろになった前年の分を混ぜて”さつま床”を作るなど、くずっぱは最大限に活かされ、利用されたのです。」(p161~162 )
(2021.05.03.文責・安島)