機場あそび
機場あそび
来るか来るかと 機音やめてよ
てんぼつめたり たるめたり
東大和市も昭和の10年代頃まで、機織りが盛んでした。近所の古老から「腕のいい娘3人育てば成金様」と云うほどだったと聞きました。この地方では、特に大正の初め、綿糸織物から絹糸織物に変わり、相場にあおられながら収入源の基になったと云われます。
そんな時代の物語が「機場あそび」です。『東大和のよもやまばなし』はこう語ります
「若い娘たちが、一日中「はたし」に腰かけて、村山がすりを織っていたころのことです。
青年たちは、日中は野良仕事に精出していました。夕方幕宅して夕飯をすますと、あとはなんの楽しみもありません。一風呂あびると、下駄をつっかけてブラリと街道へ出ました。真暗なのですが、歩きなれた道です。あちらこちらの家から一人、また一人と仲間の青年が集まってきます。青年たちは連れだって、機織をしている家の庭先へ出かけて行きました。
早朝から「はたし」に座って織物をしていた娘たちは、いい加減くたびれて、眠気のさすころです。青年たちがくると眼はパッチリ開き、機織る手の動きもはずみました。話は天気のこと、作物のこと、近所のうわさ話などですが、ときには流行歌の一つも歌ったりして、若い男女が大っぴらに話しあえる楽しい交流の場になりました。
家の人もよく心得ていて、庭先へ入って話しやすいように雨戸はすっかりあけておきました。織子の手がはずむのですから、歓迎とまではいかなくても喜んでいたのでしょう。なじみになるとお茶をだしてくれる家もありましたし、青年たちも管巻(くだまき)や絣(かすり)ほどきを手伝ってくれたりして、大助かりなこともありました。
こうして青年たちが、あちらこちらの家をたずね回って話している内に、夜もふけていきます。語らいのなかから、ロマンスが生まれ、結婚にこぎつけた人もあったとか。七十歳すぎのおじいさんが、
「機場あそびは楽しかったよなあ。おれも雨さえ降らなきゃ毎晩のように、よく出歩いたもんだよ。おれなんか瑞穂のほうまでも行ってよなあ。女の子といろんな話してよ。今よりずんと楽しかったわなあ。」
と、その当時を思い出して、笑顔で話してくれました。(『東大和のよもやまばなし』p66~67 一部省略)
そんな時唄われた機織り唄が次のように伝わります。
●来たら寄ってきなよ おらがうちゃここだ
寄れば茶もだす酒もだす
●ほれてかよえば 千里も一里
さほど遠いと おもわない
●今夜来るなら ぞうりでおいで
げたじゃ二の字の あとがつく
●不忍のはすの花さへ、夜明けにや開く
なぜに開かぬ 主の胸
●来るか来るかと 機音やめてよ
てんぼつめたり たるめたり
●あんなおかたに どこみてほれたよ
お顔に目鼻が あるばかり
●前の畑が 海ならよいがよ
かわいい男さんを 船でよぶ
●早くはたおって 千両がねためてよ
東京見物でも してみたい
●ほれたのくっついたのと 寝てみりゃしたい
まさかうるさいよと ひとのくち
●ゆうべ来たのは、よばいか猫か
猫がげたはいて きやしない
(2019.05.03.記 文責・安島喜一)『東大和のよもやまばなし』30