生活改善十項

 昭和の初め、東大和市域の社会状況はどのようであったのか?
 それを知る一つの資料があります。昭和5年(1930)のことです。狭山丘陵周辺も昭和恐慌のあおりを受けて、村の経済、村人達の生活条件に、厳しさが加わりました。余程のことがあったのでしょう、村は「不況対策生活改善協議会」を設置して、「生活改善十項」を定めました。
 村人達の節約を促すものです。今では「こんなことを公共団体が定めていいのか?」と、とても考えられないことですが、現実でした。涙ぐましいまでの節約です。

 不況対策生活改善協議会に於て協議決定せし改善諸項
  (昭和5年(1930)12月20日協議決定)

一、年頭には松飾りを廃し国旗を掲ぐること
一、年末年始並びに中元の贈答品は廃止すること
一、結婚の儀式は簡単にし式服はなるべく質素にすること
一、子どもの祝事は質素にし、長男長女にとどめ、破魔弓、羽子板、雛等は親元とし、その他は金子にて贈ること
一、葬儀は生け花、造花などは遠慮し、すべて質素にすること
一、入除隊兵の個人祝宴は絶対に廃止し、神前などで簡単に送迎式を行うこと
一、帰郷兵並びに旅行等の土産物は絶対に廃止すること
一、病気見舞いは金子を贈り、其の返礼は絶対にせざること
一、寒冷の時間は確実に励行すること
一、本規約は即日実行し各字に委員を設け、これを励行するよう注意すること

     以上
                    大和村役場

『東大和市史』p314 掲載許可を得ています。
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 この改善策は効果があったのか、古老に聞いても、あまり明確な答えはありません。『東大和市史』は、次のようにまとめています。

 「 昭和五年(一九三〇)、村は「不況対策生活改善協議会」を設置し、十項目から成る改善策を決定した。内容のほとんどは、冠婚葬祭の簡素化に関するものだった。ふだんは切りつめた生活をしていても、結婚式、葬儀、贈答となると金をかけたから、倹約を求めたのである。村役場は、字ごとに委員を設けて改善事項を守らせようとした。この改善策がどれほどの効果をあげたかは不明だが、不況の根本的な解決策にはならなかった。」(『東大和市史』p314)

 「各字に委員を設け」は、当時、かっての縦に細長い6村が集まって村を構成していました。旧村は大字(おおあざ)として、村の区域がそのまま残されていました。その字ごとに委員を置いて改善の実行を求めたことを意味します。 大字については「大和村の誕生」に記しました

 「寒冷の時間」については調査中です。

 (2019.07.04.記 文責・安島喜一)

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