いかづちさま
村山上貯水池に沈んだ石川の里に「いかづち山」と呼ばれる小高い山がありました。住吉神社の西側になります。
山頂に「雷大明神」(いかづちだいみょうじん)の碑がまつられていました。子供の夜泣きに御利益があり、村人達に厚く信仰されていました。碑は芋窪四丁目の住吉神社(地元では山王様)の境内に移されていました。(現在は道路工事のため、他の場所に一時遷されています。)一部が欠け、摩滅していますが、『東大和のよもやまばなし』はこの碑について次のように紹介します。
生れて間もない赤ちゃんはよく夜泣きをするものですが、夜中に力いっぱい泣かれると家の者はたまりません。幾晩も続くと皆、睡眼不足になってしまいます。
そこで雷様にお参りをして夜泣きが止まるようにお願いをしました。夜泣きが治ると村のおもちゃ屋で買い求めた竹の横笛をお礼に納めました。今、この石碑は芋窪の天王様の境内に移されてひっそりと建っています。「雷大明神社 文正元天戊十月三日」(一四六六)と記されてあったようですが、すっかりすりへって読むことは出来ません。」(p208)
右の画像は碑が住吉神社境内にまつられていたときの様子です。
「雷大明神社 祭主 若 満
願主 石川麻呂
文正元天戊十月三日」
右側「歳二月日、□州多摩郡芋久保村、尾又七郎左衛門・石井武左工門・高杉糸兵衛・栗原七左衛門・□□□兵衛」
左側「願主石井甚衛門、進道善衛門、氏子中、須嘉沼平衛門・清野半左衛門」
と刻まれていたと記録されています。
文政元年(1466)の年号と願主・石川麻呂の名が刻まれていることは、豊鹿島神社の現・本殿の創建の年と豊鹿島神社の創建伝承を併せています。同時に、左右に彫られた 人名は、豊鹿島神社境内にまつられている他の石碑と同名で、その石碑は文化4年(1807年)2月に造立されています。