自由民権演説会が開かれるまでの経過

 明治12年(1879)、神奈川県議会が開設されます。その動きに合わせたように、各地で政談演説会が開かれます。「人民自治の精神」「自主の権利」をテーマとする民権思想の普及を目指し、併せて運動家相互の連携を深めました。

 いち早く反応したのが内野杢左衛門でした。内野杢左衛門は明治12年(1879)2月6日行われた神奈川県議会議員選挙で、23歳で当選、第一期神奈川県会議員となりました。

 明治13年(1880)7月10日、浅草で自由民権演説会が開かれます。神奈川県会議長、県令(野村靖、長州藩士、松下村塾塾生、尊皇攘夷、公武合体論、岩倉使節団随行)が出席していました。その会に出席した内野杢左衛門は、県会議長、県令と交わり、両関係者と懇親会を開くことを計画するまでに至りました。8月3日に開かれた懇親会では、杢左衛門が卓上演説をしたとします。

『大和町史研究』6p63 杢翁記録の中の浅草井村大演説会参加の記録 クリックで大

国会期成同盟、武蔵全域への運動の広がり

 明治13年(1880)11月、築地で第二回国会期成同盟大会が開かれました。国会開設を目指す運動体です。東大和市域では内野杢左衛門が参加し、この時、後藤象二郎、植木枝盛などと知己を得、国会期成同盟合議書をもらっています。また、自由党結成準備会にも出席しました。
 
・明治13年(1880)12月5日、府中・高安寺で武蔵六郡懇親会が開かれました。
  吉野泰三・石坂昌孝・本田定年・土屋勘兵衛・佐藤貞幹ら150余名が参加しています。
  内野杢左衛門は吉野泰三から招待状を受けています。
・明治13年(1880)12月5日、府中称名寺で勧業教育演説会が開かれました。
  肥塚龍・野村本之助が弁士として招聘され、吉野・石坂・佐藤・中村克昌ら300余名が参加したとされます。
  内野家にはこの演説会の広告が保存されています。
◎これらの動きから、自由民権運動は多摩地域全域に広がり、その団結が課題となっています。

政治結社への参加、自治改進党、中和会、自由党の結成

 自治改進党

 明治14年(1881)代に、政治結社の結成が進みます。
・1月、西多摩では、神奈川県の民権運動家が「武相懇親会」を開き、やがて政治結社「融貫社」になりました。
・北多摩では「自治改進党」が生まれます。
・1月5日、府中・松本楼で懇親会が開かれました。本田定年・中村克昌・吉野泰三・中島治郎右衛門・比留間雄  亮・横川規一らの呼びかけでした。集まった人は約100人とされます。そこで、発起人から「自治改進党」の結成について提案され、その場で盟約が起草されました。
・1月15日、府中高安寺で嚶鳴社の肥塚龍らの参加を得て再度、懇親会が開かれました。その席で、盟約の総則、社則、議則などが決定され、「自治改進党」が発足することになりました。

・規則第1条には
 「人民自治の精神を養成し漸を以て自主の権利を拡充せしめんとするに在り」
 と書かれています。
・北多摩郡全域を組織範囲とする民権結社で、140余名が参加したとされます。
・社長には砂川源五右衛門、副社長に吉野泰三、幹事に本田定年・中村克昌・比留間雄亮・中島治郎兵衛・板谷元右衛門が選ばれています。

・この結成には内野杢左衛門が深く関わり、内野家には「自由改進党盟約」が残されていて、「自治改進党」に至る間の経緯に注目が集まっています。
・東大和市域では、芋窪(川鍋正茂)、蔵敷(内野杢左衛門・内野吉次郎)、奈良橋(鎌田佐一郎・関田安太郎)、高木(宮鍋庄兵衛)、狭山(関田粂右衛門)の各村から7名が参加しています。 

自治改進党総則案 『東大和市史』p269 クリックで大

中和会の結成

 この動きの中で、明治14年2月15日、小川村の小川寺に、青梅街道周辺の村人が集まりました。
 小川弥治郎(小川村、現小平市)・内野杢左衛門(蔵敷村、現東大和市)・宮鍋庄兵衛(高木村、現東大和市)・小島龍叔(野口村、現東村山市)らの呼びかけによる懇親会です。
 嚶鳴社の草間時福、東京横浜毎日新聞社の竹内正志が弁士として招かれて、卓上演説があり、自由民権に関する結社の計画が議題となり、盟約書の草案が検討されました。名前は「中和会」でした。

自治改進党の党員分布図 クリックで大

 自治改進党の党員分布状況を見ると、党員は甲州街道沿いに集中しています。青梅街道、五日市街道周辺での活動拠点が求められたとも考えられます。
・明治14年3月27日、中藤村の真福寺で第三回目の懇親会が開催されました。120余名が集まる盛会の中で、規約が定められ「中和会」として発足しました。「本会ノ主義は、天賦の自由ヲ伸張シ、人生ノ福祉ヲ増益スルニ在リ」と宣言されました。
 詳細は別に書きます。

自由党の結成

 明治14年(1881)10月11日、政府は10年後の国会開設を約束しました。これを機に
 明治14年(1881)10月29日、自由党が結成されました。自治改進党、中和会は発展解散し、東大和市域では内野杢左衛門、鎌田喜三郎、尾又高次郎、川鍋八郎兵衛の4名が自由党員になりました。

学術演説会

 このような経過、過程の中で、東大和市域周辺では、府中、調布、小川村などで自由民権を求めての学術、政談演説会が開かれてきました。明治14年(1881)3月25日、隣接する中藤村(武蔵村山市)真福寺で演説会が開かれました。
 そして、5月以降、東大和市域内で学術演説会が開催されます。次ぎに続けます。

 (2019.11.03.記 文責・安島 資料の引用はいずれも東大和市郷土博物館の許可を得ています。)

 中和会の発足

 東大和の歴史・現代

 衆楽会   初めての村会  新聞購読会

 芋窪学術演説会  狭山自由懇親会  奈良橋自由懇親会