いのしし
東大和市立郷土博物館の東南、入り口階段の左外にのんびり二匹のひょうきん者がいます。
旧村山道の傍らに寝そべっているのが本日の主人公のモニュメント・いのししです。
設置日:平成7年3月
材質:黒御影石
サイズ:H1900×W1300×D700センチメートル
(作品紹介)
狭山丘陵は昔、いのししに多くの農作物や墓地が荒らされて、村の人達はたいそう困ったそうです。蔵敷には、次のような話しが伝わっています。
昔、御岳神社と奈良橋の八幡様の間の谷を「千光谷ツ」といい、そこに千光坊というお堂がありました。かたわらに墓地があって埋葬のたびに、山をこえていのししが来て掘り返してしまうので、困った人達はいのししの通り道に穴を掘って、その害を防いだと伝えられています。
狭山丘陵周辺には余ほどイノシシや鹿や、狐、狸、むじな・・・などがいたらしく、それぞれの通り道があって村人達との関わり合いを持っていました。中でも大物がイノシシでした。
・寛文9年(1669)11月、尾張藩鷹狩り、奈良橋村では鹿72,狐1、兎4を仕留めた。
・安永4年(1775) 5月13日、久米川村から瑞穂町まで 狭山丘陵で大がかりなイノシシ狩りを実施。
この時は20頭あまりが捕らえられ、大隠居も撃たれました。
・安政6年(1859)1月「鷹場内の猪鹿追い散らし願い」を提出して許可を得る。
など、江戸初期から幕末に至るまでイノシシや鹿狩りの話題が伝わります。作物にも影響を与え、大がかりなシシ狩りが行われました。
作品紹介にある千光谷ッの墓地は困り果てて、ついに原の中程・庚申塚の近くに移転して「塚前墓地」となっています。
千光谷ッは、モニュメントの前の道を西に進み、最初の分かれ道を北に入ると間もなく達します。
イチリンソウ、ニリンソウの群落も見られます。
よもやま話に語られ、この林を行き来して、ヒョウキンに寝くさっている大隠居は、地域の人々はもとより郷土博物館に来る人々に愛されています。
(2017.07.08.記)20
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