高木の獅子舞い(モニュメント)
高木の獅子舞いは江戸時代より、毎年九月十九日の高木神社の祭礼に奉納されました。昔、悪疫が流行したとき、その退散を祈願して踊られたのが始まりと伝えられています。
獅子舞の行列は、高木神社隣、昔の明楽寺跡の社務所で支度をととのえ、村役の先導にて練り歩き、神社前庭に進んだのです。
実際の獅子舞はどのように舞われるのでしょうか。
・夕刻、獅子舞の行列は明楽寺跡、現・社務所から出発します。
狐が先導し、4人の簓子(ささらこ)、2頭の雄獅子、1頭の雌獅子、笛数人、唄数人の順で、一度、清戸街道に出て神社正面より入場します。
・神社境内には、社殿前に青竹を4本立て、しめ縄を張って舞庭が形作られます。簓子は青竹の四隅に位置します。
舞とそのあら筋は、高木獅子舞保存会が次のように説明しています。
「高木の獅子舞は、口伝によると江戸時代からのものといわれ、その昔、悪病がはやり、その退散と五穀豊穣を願って奉納されたのがはじめと伝えられています。
古老のいい伝えによれば、獅子舞は高木神社の東南にある明楽寺跡、現在の社務所から狐の先導で四人の簓子(ささらこ)、二頭の雄獅子、一頭の雌獅子、笛数人、唄数人の順で道中を練り歩いて神社正面より入場、社殿前庭に青竹を四本立て、しめ縄を張った土俵の上で舞われることになっていました。
四隅に華やかな彩りの牡丹をあしらった花笠衣装の簓子(昔は男の子が担当したそうです)が立った花園(土俵)の中で、一頭の雌獅子をめぐって二頭の雄獅子と狐が舞いからむのです。
そこで雌獅子が隠(かく)されさよな」
この唄あたりに来ると、雄獅子二頭による雌獅子の奪いあいとなり、喧嘩が始まります。 隠された雌獅子にいい寄る狐が、追い払われるくだりを最高潮に、その後和解した三頭の獅子が舞い納めます。
一つの物語風にまとめられた、素朴ですが勇壮で古式豊かな獅子舞です。
獅子舞に用いられる獅子頭、狐面、太鼓、衣装等は東大和市の郷土資料として指定されています。
後継者難から一時期中断されていたものを、「高木獅子舞保存会」を結成し、後世に伝承して行こうと活動を続けています。
・獅子舞は風流形式とされます。
・獅子頭は、いずれも黒の漆塗りです。白銀の細かい前髪に、巾約5㌢、長さ1㍍ほどの檜を鉋で削り出した、15枚の長い後毛を重ねます。
・剣獅子は金の剣角に白と黄色の御幣、雄獅子は金と黒のねじれ角に青と白の御幣、雌獅子は赤と白の御幣に宝珠をつけています。