高木のまんじゅっ鉦

まんじゅっ鉦
東大和のよもやまばなしの挿絵
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 火の見櫓の吊り鐘っていえば、たいてい、下のほうが丸くて上に行くにしたがってつぼまる形を思い浮かべます。ところが、そうではなくて、図のように、まん丸い鉦(かね)がかかっていたという話です。

 かって、高木地域の旧道の交わるところに、火の見櫓が立っていました。そこにつるされた鐘が普通の釣り鐘とは違って、独特でした。また、音のほうでも特色があったらしいのです。『東大和のよもやまばなし』は、今では想像も出来ない当時の火消し姿とともに、その様子を語ります。

 「大正の頃の高木の火の見櫓(やぐら)は、他の部落と違って一風変った眺めでした。
 バス停塩釜神社前から志木街道を東へ二百メートルほど行き右へ折れて道なりに行くと変則的な五叉路になっています。この南寄りの角に檜の丸太で長さは十メートル足らず、下の方は腕が廻らない位太い火の見がありました。

 一番上に枝木を打ちつけて、葬式に使われたような鉦を鎖で吊(つ)ってありました。鉦の直径は四十センチぐらいで、かなりの重さがありました。

モニュメント
高木のまんじゅっ鉦
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 この鉦が「高木のまんじゅっ鉦」といわれ、山ひとつ越した宅部の杉本にあった桜に吊るした板木と共に、近隣にも知られる存在でした。
 宅部の板木も案外澄んだ音でコテンコテンと谷間にこだましました。まんじゆっ鉦は金属製ですが、普通の半鐘と違ってジャンジャンとは鳴らずカンー、カンー、と余韻のない独特の高い音で遠くまで響き渡りました。特徴のある音色は、よほど印象的だったのでしょう。コテーン、コテーンと響いたとか、ビデン、ビデンと鳴ったとか、思い思いに表現されています。

 有名な鉦であったので子供の喧嘩にまで登場し、他の部落の子から、
 「高木のまんじゅっ鉦、コテーン コテン」
 と、からかわれたことも一度や二度ではありませんでした。

 人の思惑はどうあろうと、まんじゆつ鉦は部落を守って働きました。出火と見れば誰でも駈け上って叩きます。近くて大火になりそうならスリバンとか、遠ければ三ツバンとか、今と同様叩き方に決りがありました。

 鉦の音を耳にすると、仕事着のまま部落の人達が傍の消防小屋に集って来て、リュウコシ(竜吐水)やげんば桶などを引出して火事場へ駆けつけました。

 このまんじゅっ鉦は、元は明楽寺の鉦だったそうです。
 昭和四、五年のこと、木の梯子(はしご)が倒されて、かわりに鉄製の火の見櫓が建てられ、まんじゅっ鉦も半鐘に変りました。

 その後、高木神社の蔵に納められた鉦は、再び、空襲を知らせる鉦として、南街の富士見通りに取り付けられましたが、今は残っていません。」(p68~69)

高木のまんじゅっ鉦関連位置図
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 今も吊ってあればさぞ話題になっただろうにと残念です。この鉦は、モニュメントになり、空堀川と奈良橋川の合流点に設けられていました。これが、また奇妙な形で、子ども達には不思議な印象を与えたらしく、人気ものでした。現在は工事中のため撤去されて市が保存しています。そのうち再建されるでしょうが、その時は、「リュウコシ(竜吐水 手押しの火消し道具)」や「げんば桶(玄蕃桶 防火用の大型の桶)」なども一緒に見たいものです。

(2019.02.01.記 文責・安島喜一)

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