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7現代

玉川上水への通船3 分水口の改正 (水不足が生じてきたか?)

 通船の過程で、やがて、東大和市として大きな影響を受ける村山貯水池建設の要因ともなる東京の水不足を伝える出来事が見えてきました。 分水口の改正 玉川上水は江戸市中への飲料水の供給と共に武蔵野の新田開発をした各地へ飲料水や …

玉川上水への通船2 明治の通船開始

 明治の通船 1通船願い  江戸時代末期、商人、名主は玉川上水への通船を願い出ました。幕府も砂利運搬計画をもって上水への筏利用を図ります。この時期に明治維新を迎えました。地元の名主は、明治2年(1869)になると名を連ね …

変電所跡 その二 変電所の現状 外部 (東大和指定文化財「市史跡」) 

 東京瓦斯電気工業(株)、日立航空機(株)立川工場の基本施設が変電所でした。工場の近くまで高圧線で運ばれてきた高圧電流を低圧に変電して工場内に配電する施設です。  昭和20年(1945)2月17日および4月19日、24日 …

1965・昭和40年のまちの姿(大和町時代)

 1965年・昭和40年の大和町の姿を伝える資料に『町勢要覧』があります。  「主な施設の位置」として下の図が掲載されていて、その姿が辿れます。 ・当時「大和町」でした。1954年・昭和29年、大和村から町になり、197 …

変電所跡 その一 変電所への電力供給

東京瓦斯電気工業(株)・日立航空機(株)立川工場の基本施設の一つが変電所でした。工場の近くまで高圧線で運ばれてきた高圧電流を工場内に配電して使えるようにする変電施設です。この変電所への電力はどのようにして供給されたのでし …

アメリカ軍の空爆により工場壊滅

 軍需により拡張を続ける日立航空機(株)立川発動機製作所(以下立川工場)は昭和20年(1945)、米軍の空爆を受けました。工場群は完全に破壊されました。その経過は次の通りです。 昭和20年(1945) ・1月19日、政府 …

工場の疎開

 昭和19年(1944)6月、米軍がサイパン島に上陸、日本の戦局は一挙に悪化します。アメリカ軍の直接攻撃を受けるようになりました。11月24日、中島飛行機、武藏製作所がB29の爆撃を受けました。12月には軍部から、工場の …

専用鉄道の設置(現・西武拝島線の一部)

 現在の西武拝島線、そのうちの小川駅から玉川上水駅までの間が出来たときの話です。日立航空機(株)立川工場への専用引き込み線が基になっています。 東京瓦斯(ガス)電気工業(株)から日立航空機(株)立川工場へ移ってから間もな …

東京瓦斯(ガス)電気工業(株)から日立航空機(株)立川工場へ

日立製作所との合併  昭和14年(1939)5月15日、当時の大和村に工場建設中の東京瓦斯電気工業(株)は日立製作所と合併しました。そして、子会社の日立航空機株式会社を設立しました。合併の理由は国策によるとされます。小松 …

東京瓦斯(ガス)電気工業(株)の工場建設

村山貯水池の建設の影響を受けて、村の運営にも経済的な危機が押し寄せていた昭和13年(1938)のことです。松林と一面の畑が広がる村の南端の地に、工場建設の動きが起こりました。東大和市のまちづくりに大きく影響を与えた東京瓦 …

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