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7現代

上宅部(かみやけべ)の里(東大和市)

上宅部(かみやけべ)の里  村山貯水池の建設に伴い下堰堤付近に沈んだ古村です。手前の取水塔の辺りから右側堰堤に沿って、杉本の里、内堀の里に接して営まれました。名前の上宅部(かみやけべ)については若干の説明が必要です。   …

勝楽寺の里

勝楽寺の里  山口貯水池の建設により湖底に沈む勝楽寺の里から30戸の方々が東大和市の芋窪と奈良橋地域に移転されました。    その里は村山貯水池に沈んだ石川の里と峰を境にして隣接し、深い関わりを持っていました。  勝楽寺 …

勝楽寺地域からの移転(山口貯水池に沈んだ集落 東大和市)

勝楽寺地域からの移転(山口貯水池に沈んだ集落 東大和市)  山口貯水池の湖底に沈んだ勝楽寺地域から東大和市に移転した記録です。  村山貯水池の建設に引き続いて、昭和2年(1927)、山口貯水池の測量、建設が進められました …

蓮華寺の馬頭観音(東大和市)

蓮華寺の馬頭観音(東大和市)  蓮華寺の門を入ってすぐ右側に石仏が並びます。その一番左側に、目の前の道路方面を向いた石塔があります。  寛政11年(1799)の馬頭観音です。  村山貯水池に沈んだ石川の里、蓮華寺の旧地付 …

住吉神社境内の碑(東大和市)

住吉神社境内の碑(東大和市)  かっての住吉神社境内に三つの碑がまつられていました。  左から弁財天  雷大明神 神明社です。いずれも、村山貯水池建設に伴い、大正年代に石川の里から移転してきました。 弁財天  高 68・ …

住吉神社と御嶽神社(東大和市芋窪)

住吉神社と御嶽神社(東大和市芋窪)  都市計画道路・東大和武蔵村山線ができる前、四ッ街道の路地の奥に住吉神社と御嶽神社がまつられていました。大正年間、石川の里から村山貯水池の建設により村人と共に芋窪四丁目に移転して来まし …

杉本の里

杉本の里  村山貯水池の下堰堤近くに沈んだ由緒ある集落です。下図の内堀の里と上宅部の里の間に位置していました。戸数は少ないのですが、内堀、上宅部と合わせて、宅部(やけべ)という、古代・中世からの特色ある地域と歴史を積み重 …

石川の里(東大和市) 

石川の里(東大和市)  村山上貯水池の湖底に沈んだ芋窪地域の古村が石川の里です。上の堤防の西(左)側ほぼ全域になります。  狭山丘陵の峰と峰の合間に形成された集落でした。峰々からの湧き水を集めて、柳瀬川に合流する「石川」 …

庚申塚墓地(東大和市)

庚申塚墓地  奈良橋五丁目に庚申塚墓地があります。村山貯水池に沈んだ内堀の里から、大正8年(1919)、阿弥陀堂と共にこの地に移って来ました。報告書などには「庚申墓地」と記載される場合もありますが、このページでは、地元で …

内堀の里(東大和市)

内堀の里  村山貯水池に沈んだ集落に「内堀」と呼ばれる地域がありました。狭山丘陵の峰と峰との間にできた村です。  春先は水のない田んぼにれんげの花が咲きみだれ、じゅうたんを敷きつめたよう。子供達はその上で遊び、寝っころが …

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