ブログ

7現代

衆楽会(東大和市の自由民権学習結社)

衆楽会(東大和市の自由民権学習結社)  村山貯水池が出来るずっと前のことです。湖底に沈んだ芋窪の石川にあった蓮華寺(れんげじ)で、新しい時代を目指す画期的な活動が開始されました。「衆楽会」です。  明治になって10年とち …

大和村の誕生(東京都東大和市)

大和村の誕生(東京都東大和市)  大正8年(1919)11月1日、大和村が誕生しました。  大正デモクラシーと呼ばれる国際的にも、政治的にも、経済的にも変化の多い時代です。村山貯水池の建設の最中でした。古村の162戸の多 …

建設ブーム(村山貯水池建設工事)

建設ブーム(村山貯水池建設工事)  大正5年(1916)5月、村山貯水池の建設工事が着工されます。村は活気づきました。不況から働く場、現金収入を得る場に乏しかった村人たちにとって格好の働き場でした。現在のダム工事とは違い …

村山貯水池(多摩湖)の建設工事

村山貯水池(多摩湖)の建設工事  村山貯水池の建設工事は大事業でした。大まかに次のような経過を辿っています。  大正4年(1915)、移転がほぼ終わります。待っていたかのように、大正5年(1916)、工事の起工が行われま …

比翼塚と古文書(明治、徳川家臣の来村)

比翼塚と古文書(明治、徳川家臣の来村)  明治6年(1873)です。東大和市高木村の明楽寺の庫裡でおきた出来事を報ずる文書があります。 大まかには  仮神官宮嶋岩保の妻きよさんは、 ・本年8月に夫が死亡し、物寂しく、時々 …

高札の書き換え

高札の書き換え  ご一新で、新しい時代に入りました。東大和の村々にも、新政府軍の動向が伝えられ、旧幕臣の帰国や浪人などの往来があり、厳しい空気が生まれていました。そのような中で、早速、「五箇条の御誓文」(慶応4・1863 …

村が迎えた明治元年

村が迎えた明治元年  明治を迎える村は大きな緊張に包まれていました。東大和市域の村々の明治元年の出来事を追ってみます。 慶応4年(1868)1月です。  「1月1日、門松を立つる事を止(とど)め、年礼を休す」  と隣接中 …

村山貯水池(多摩湖)に沈んだ古村の移転

村山貯水池(多摩湖)に沈んだ古村の移転  大正4年(1915)、石川の谷(上貯水池)から移転が開始されました。全162戸、大半が丘陵の南側(表)に移りました。家財道具は丘陵の坂道を、喘ぎあえぎ、家族中で大八車の後を押して …

村山貯水池(多摩湖)の湖底に沈んだ村の住居

村山貯水池(多摩湖)の湖底に沈んだ村の住居  村山貯水池に沈んだ地域には、162戸の家々がありました。161戸との記録もありますが、市民グループの調査により実際に復元した数は162戸でした。その配置は下図の通りです。 & …

村山貯水池(多摩湖)の湖底に沈んだ村の食生活

村山貯水池(多摩湖)の湖底に沈んだ村の食生活   村山貯水池の湖底に沈んだ村々は古代の住居址を残します。また、寺社は中世の創建を伝えます。  さらに、南麓の地域には僅かの水田しかなかったのに比し、この地では、比較的多くの …

1 2 3 5 »
PAGETOP
Copyright © 東大和の歴史 All Rights Reserved.
Powered by WordPress & BizVektor Theme by Vektor,Inc. technology.