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7現代

韮山県と品川県を行ったり来たり (明治の最初に属した県)

韮山県と品川県を行ったり来たり (明治の最初に属した県)  幕末から明治初年にかけて、東大和市域の村人は  「いってえ、おら方はどうなんのよ?」  と、新しい府県制度に戸惑いました。  慶応4年(1868)閏4月27日、 …

テレスケ太鼓と夜学 「報恩感謝之記額」

テレスケ太鼓と夜学 「報恩感謝之記額」  狭山神社、社殿正面左側の上の方に「報恩感謝之記」の額が奉納されています。  標題から難しい字ですが、奉納者は「共励学会々員」で、明治34年(1901)の日付があります。時を経たた …

内堀先生の碑(東大和市狭山)

内堀先生の碑  狭山神社の表参道左側、狭山公民館前に碑があります。  狭山地域の教育者として名高い「内堀先生の碑」です。  内堀先生は、村山貯水池の湖底に沈んだ内堀地域に、幕末の嘉永6年(1853)6月、誕生しました。 …

殉国産業戦士供養塔(円乗院7-1)

殉国産業戦士供養塔(円乗院7-1) 円乗院の本堂左奥には、忘れてはならない第二次世界大戦中に係わる供養塔の一つがあります。千体地蔵尊に見守られるようにまつられています。現在の桜が丘、立野地区に起こった痛ましい戦争の犠牲に …

玉川上水への通船4 通船の廃止

1沿岸住民の妨害  玉川上水上流部では、通船の主体者となる村々が沿線を占めていましたが、下流部では関わりが薄く、高井戸、笹塚周辺からは妨害行動が起こされています。通船が開始されて間もなくの明治3年(1870) 5月、次の …

玉川上水への通船3 分水口の改正 (水不足が生じてきたか?)

 通船の過程で、やがて、東大和市として大きな影響を受ける村山貯水池建設の要因ともなる東京の水不足を伝える出来事が見えてきました。 分水口の改正 玉川上水は江戸市中への飲料水の供給と共に武蔵野の新田開発をした各地へ飲料水や …

玉川上水への通船2 明治の通船開始

 明治の通船 1通船願い  江戸時代末期、商人、名主は玉川上水への通船を願い出ました。幕府も砂利運搬計画をもって上水への筏利用を図ります。この時期に明治維新を迎えました。地元の名主は、明治2年(1869)になると名を連ね …

変電所跡 その二 変電所の現状 外部 (東大和指定文化財「市史跡」) 

 東京瓦斯電気工業(株)、日立航空機(株)立川工場の基本施設が変電所でした。工場の近くまで高圧線で運ばれてきた高圧電流を低圧に変電して工場内に配電する施設です。  昭和20年(1945)2月17日および4月19日、24日 …

1965・昭和40年のまちの姿(大和町時代)

 1965年・昭和40年の大和町の姿を伝える資料に『町勢要覧』があります。  「主な施設の位置」として下の図が掲載されていて、その姿が辿れます。 ・当時「大和町」でした。1954年・昭和29年、大和村から町になり、197 …

変電所跡 その一 変電所への電力供給

東京瓦斯電気工業(株)・日立航空機(株)立川工場の基本施設の一つが変電所でした。工場の近くまで高圧線で運ばれてきた高圧電流を工場内に配電して使えるようにする変電施設です。この変電所への電力はどのようにして供給されたのでし …

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