狭山丘陵の古狸往生記(よもやま話84)
平成29年(2017)3月11日、観光関係の講座で、蔵敷にある「やすじいの農園」(市民が農業に接し楽しむ新しい形の農園)を訪ねたときです。園主の内野氏が
「朝早くここへ来ると、この畑の間をタヌキの親子が通るんですよ。きっと、近くに家族で住んでるんですね」
と話されました。狭山丘陵からは300㍍ほど南に離れていますが、今もタヌキは一族をなして健在であるようです。
「朝早くここへ来ると、この畑の間をタヌキの親子が通るんですよ。きっと、近くに家族で住んでるんですね」
と話されました。狭山丘陵からは300㍍ほど南に離れていますが、今もタヌキは一族をなして健在であるようです。
かって、狭山丘陵とその麓にはイノシシ、鹿、狢(むじな)などたくさんの動物が村人と共生していました。60年ほど前の話ですが、『東大和のよもやまばなし』から紹介します。
「山ふところに囲まれた蔵敷のある農家で、養鶏をやっていた頃のお話です。
大変なことがおきました。
毎晩必ず一羽ずつ大切な鶏がいなくなってしまいました。どんなに注意してみても、翌朝見廻ってみると羽一枚残さずに行方不明になってしまいます。
囲いをきっちりとやり直したがそれからも七羽もいなくなってしまいました。
この辺りは水が豊富で二メートルも掘ると良い水が出て、井戸になっていました。十月もなかばの朝、モーターのスイッチを入れても動かないので不思議に思い、井戸をのぞきにいってみました。何か黒いものが見え、何と大きな狸が虫の息になっているのです。
首筋から背中にかけて毛並が白く大の字に見え、ころころ太った狸でした。古狸はほどこの大の字がくっきりするのだそうです。
用心深い狸も、鶏一羽が入った大きなお腹をかかえて、ついうっかり、モーターのコードにつまづいて、井戸にはまったのではないかと……。それ以来鶏をぬすまれることもなくなったそうです。
この古狸今では剥製となり、思い出話の種となって保存されています。
昭和四十六年(1971)秋の出来事でした。
狭山丘陵にも昔は狸がたくさんいたそうです。おじいさんから聞いた話では、夜中の十二時過ぎによばわり(夜廻り)すると狸が足もとにまつわりつくほどだったそうです。
ホッ、ホッと十秒位の間をおいてなく狸の声も最近はついぞ聞かれなくなりました。」(p184~185)
「やすじいの農園」の園主に、この話をして
「この農園に朝方来る狸の中に、首筋から背中にかけて毛並が白く大の字に見える親分は居るの?」
と聞くとニコニコしながら
「今度、注意してみておくよ」
と約束してくれました。
この林のどこかに、今もタヌキの一族は生活して居るのだろう。会いたいものだと念じながらシャッターを押しました。
(2017.11.18.記 文責・安島喜一)84