ばばあのふところ
ばばあのふところ
東大和市の微笑ましい地名の一つに蔵敷の「姥の懐」(うばのふところ)があります。地元の古老はざっくばらんに「ばばあのふところ」とも呼びます。
青梅街道の蔵敷バス停から西へ約50メートル、防火貯水槽のある角を曲がって、市立狭山緑地へ向かう途中の地域です。
画像、左前に見える防火貯水槽は、かって、丘陵から湧き出る自然湧水が作っていた弁天池でした。
ここから「厳島神社」、「東京サンショウウオの生育地」を通り過ぎると、今回の話題の地域です。
『東大和のよもやまばなし』から紹介します。
「蔵敷には、昔から「ばばあのふところ」といわれる場所があります。
蔵敷バス停から、少し西によったところを、山側に入ると弁天社があります。
その右手の山あいのくぼ地に、奥深く広がる場所で、自然に風を防ぎ日当りもよく、ちょうど乳母のふところのような地形です。狭山の栞に「姥がふところ」とあるのがここの事と思われます。
ここに長年住んでおられる島田茂吉さんは、よく他所の人に「あんたのところは暖かいよ、ばばあのふところだからな」と言われるそうです。また、奥さんも「あそこは、ぬくいので昔から心も体も安心して休める場所なんですよ」といっておられます。
島田さんが子供のころは、赤松の古木が大きく茂り、萩、じじばば(春蘭)、みつばつつじ、狼つつじ、きれんげ、鉄砲百合などがきれいに咲いておりました。
ここで、男の子達は戦争ごっこなどをして遊び、女の子は、弟や妹のお守りをしながら、つみ草や、きのこがりなどをしていました。
夕方になると、弟妹の手を引きながら、ざるに一杯になったきのこを持って、家に帰って行きました。
山の方から、突然野うさぎが走ってきたり、大木の上では、気の強いリスとカラスがけんかをしていた事もありました。
ここの主でしょうか? 以前から、直径約十センチメートル、長さ二㍍の山かがし(赤蛇)がすんでいます。春になると時々顔を見せますが、人間に危害を加える事はありません。湧水で出来た池の辺りがすみかのようです。
このばばあのふところも戦争中に防空壕を掘ったため穴がたくさんてきてしまいました。
(東大和のよもやまばなしp218~219)101
明治6年(1873)、蔵敷村は神奈川県に村の略図を提出しています。そこには谷田、林前、鼠沢などの小字名に、「日蔭山」と対するように「姥の懐」の名が記されています。江戸時代からの日だまりの暖かみのある場であることが伝わってきます。
狭山緑地から見える箇所も家々が建ち並んできましたが、まだ、雰囲気が残されています。
(2018.10.15.記)