円乗院
円乗院(えんじょういん)
所在地 狭山三丁目 1354番地
新義真言宗、智山派。本尊・不動明王。 愛宕山医王寺圓乘院東円坊。
狭山丘陵の中腹に位置する平安時代末期の創建を伝えるお寺です。
市内の寺院の多くが武蔵村山市中藤の真福寺末ですが、円乗院は豊島郡上神石井村新義真言宗三宝寺に属します。
このお寺は当初、現在の二つ池周辺に建立され、延寿院と呼ばれて、薬師如来を本尊としていました。
慶長12年(1607)8月18日の台風により「坊舎悉く吹き潰され」(ぼうしゃことごとく)たことから、現在の地に移って堂宇を再建しました。
そして、この地に古くから鎮座していた愛宕大権現を山内鎮守として、山号を愛宕山とし、院号を円乗院としました。
その経過を現在に示す貴重な「愛宕大権現御宝前所願成就石灯籠」があります。本堂の左側にまつられています。
現在は本尊を錐鑽(きりもみ)不動尊としています。その理由は、「第二十世賢範法印代に、帰依によって紀州十三仏霊場第一番札所、近畿三十六不動第三十四番札所新義真言宗総本山根来寺に奉安の錐鑽不動尊像を写して当山の本尊とした」としたことによります。
江戸時代末には、寺子屋が開かれ、明治6年(1873)、最初の小学校竭力学舎(かつりきがくしゃ)が開校されました。
明治14年(1881)9月25日、自由民権運動の高まりの中で「狭山自由懇親会」が開かれました。五日市憲法草案に関わった千葉卓三郎も加わり、活発な議論が行われました。
明治18年(1885)12月、火災により本堂・庫裡が焼失され、古記録を失いました。幸いに鐘楼門が残りました。江戸時代・寛延2年(1749) 建立とされる市内最古の鐘楼門です。
昭和23年(1948)、本堂を再建、庫裡・鐘楼門を改修
昭和43年(1968)、鐘楼門の再改修、昭和48年(1973)、客殿庫裏の新築
昭和49年(1974)、本堂建立計画、昭和54年(1979)、完成して現在に至っています。
武蔵野三十三観音第八番、多摩四国八十八ヶ所第三十八番の札所です。かって村山貯水池建設前(昭和2年・1927完成)までは、狭山三十七薬師第三十四番札所でした。
広大な寺域には様々な文化財があります。下の画像の文字をクリックすると記事になります。
円乗院の歴史
東やまと20景
石造物
歴代住職碑
徳治の板碑
五輪塔
石灯籠
宝篋印塔
聖徳太子像
六地蔵
地蔵尊像
殉国産業戦士供養塔
墓地(両墓制)
水子供養
寺子屋・明治の学校
自由民権運動「狭山自由懇親会」
(2018.04.19.記 文責・安島喜一)